金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

【ヒープリ感想】私がダルのどに「エモさ」を感じる理由

 ヒープリ27話はご覧になりましたか?
 私は見ました。そして死にました。私はちゆひなの関係性も好きで27話はとても良いちゆひな回でもあったのですが、この話をしはじめると紙面が足りないのでいったん省略して、今回はダルのどの何にエモさを感じているのかということについて自分の思考整理をしながら文字にしてみたいと思います。

 

※なおこの記事では便宜上「ダルのど」という表記にしていますが、恋愛感情を伴うカップリングとしての話はしていません。あくまでも両者の関係性についての話ですので、先に書いておきます。

 

※またこれはあくまでも私の自己分析なので、人に押し付ける気はありませんし、自分と意見を異にする方に何か物申したいという意思があるわけでもありません。繰り返しになりますが、これは自己分析であって、それ以上でもそれ以下でもありません。 

 

 

最初に:なぜダルのどに「エモさ」を感じるのか

 まずダルイゼンについてですが、彼がこれまで行ってきたすべては少なくとも人間にとって極悪非道な行為ばかりで、現時点においては擁護できるような描写もありません。それはおそらく視聴者にとっての共通認識だと思います。


 ですが私はダルイゼンとのどかの関係性にそこはかとないエモさを感じてやみません。


 ダルイゼンはのどかに酷いことばかりしています。6話ではその頬を赤黒い泥で汚し、のどかの母親を突き飛ばし、27話ではついにそのお腹にメガパーツを突っ込み入れました。これを悪役ムーブと言わずして何を悪役ムーブと言えばいいのでしょう?


 ですが私はダルイゼンとのどかの関係性にそこはかとないエモさを感じてやみません。


 なぜでしょう。なぜ私はこんなにもダルイゼンとのどかの関係性にそこはかとないエモさを感じてしまうのでしょう。
 自分と向き合って考えてみたところ、その原因になっているのは主に二つありました。

 

①OPのダルのど考察

 もはや公然の事実となっていますが、念のため知らない方のために説明しておくと、OPでのどかがダルイゼンに向かって手を伸ばしているカットがあります。その手はダルイゼンをすり抜けていってしまうのですが、このときに流れている歌詞が「この出会いが運命」です。このひたすら意味深なカットと歌詞によって、ダルイゼンとのどかのあいだに何かしらの「運命」がある可能性(あくまで可能性ですが)が示唆されています。


 また、ダルイゼンが花のピアスをつけていたり、グレースの口癖である「生きてるって感じ」を揶揄するかのように自ら口にしていることからも、少なくとものどかの「対」となるキャラクターとして意識されていることがうかがえます。

 

②グレースに興味を抱いているダルイゼン

 ダルイゼンはその名の通り常にダルそうな雰囲気を醸し出しており、目に映るものすべてに興味がなさそうな印象を受けます。地球を蝕んでいるのも「居心地よくしたいから」という極めてダウナー系美少年らしい理由です。


 しかしそんな彼が興味を抱いているものがひとつあります。それがキュアグレースです。彼は6話にてキュアグレースの名前を「ふ~ん。キュアグレースね」と認識していて、何かとグレースにちょっかいをかけます。他のプリキュアにはグレースほどの関心を寄せていません。これはアニメだけではなく現実のショーでも同じで、(私が見たものが幻覚でなければ)ドリームステージでもダルイゼンはのどかを攻撃対象として狙いその頬を触るなどしていました。


 そして極めつけが27話でのメガパーツをのどかのお腹に突っ込むシーンです。(27話ショックとも言われている…?)


 以上より、ダルイゼンとのどかのあいだには何かしらの「運命」、「因縁」のようなものがある可能性が示唆されており、ダルイゼンはのどかに何らかの「興味」を持っていることが分かりました。

 

本題:私はダルのどに「期待」している

 ここまでが情報のまとめで、いよいよ本題に入ります。
 27話現在まで、ダルイゼンがのどかにしてきた行為はすべて人間の視点からすれば「悪行」にほかありません。ひたすらダルイゼンがのどかを傷付け、その尊厳を踏みにじろうとする場面が続いています。ダルイゼンはのどかに興味はあっても人間的な好意を抱いているようには見えませんし、のどかはのどかでダルイゼンのことを明らかに敵としてみなしています。


 ですが私はダルイゼンとのどかの関係性にそこはかとないエモさを感じてやみません。


 このエモさの正体については、27話直後は呆然としていてうまく言葉にできなかったのですが、やっと自分にとって適当な言葉が見つかりました。


 それは一言でいえば、「期待」です。


 私はダルイゼンとのどかの関係性にそこはかとない「期待」を寄せています。これだけのことをしてきたダルイゼンとのどかとのあいだには、いったいどんな「運命」が、「因縁」があるのか、ドキドキしてたまりません。


 私は知っています。プリキュアという作品が、子ども騙しの作品ではなく、子どものために誠実につくられている作品だということを。だから私は確かな信頼感をもって、ヒープリが見せようとしてくれる(かもしれない)ダルイゼンとのどかの「運命」に、あるいはその「因縁」に、胸を高鳴らせることができます。


 物語の楽しみ方は人それぞれですが、私は作品を物語として消費している人なので、作中のキャラがどんなにえげつないことをされていてもそれが物語を物語として成り立たせる要素になっているのであれば受け入れるますし、むしろ人には受け入れ難いえげつない要素を物語上必要不可欠なものに昇華させられるような物語に魅力を覚えます。


 そしてプリキュアは「意味もなく」主人公の苦しむ姿を視聴者に見せる作品ではありません。主人公が嘆き、苦しみ、地獄を見つめるのは、そうした苦難の先にある「輝き」を映し出すためです。ダルイゼンが更生せずに浄化されるのか、更生して生存するのかは定かではありませんが、いずれにしても私はその先に現れる「輝き」に、そこはかとない「エモさ」を、「尊さ」を感じてやみません。

 

 ここまで考えると、答えが見つかりました。

 つまり私は、ダルイゼンとのどかの物語の終着点に現れるその「輝き」を「期待」することによって、現時点で「エモさ」や「尊さ」を感じていたのです。

 

 そして、その「輝き」はきっと、とても美しいものだと私は信じています。


 以上が、私がダルのどに感じている「エモさ」の正体なのかな、という自己分析でした。とりあえず28話がどうなるか、座して待ちたいと思います。


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