金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

ヒーリングっど♥プリキュア 11話 感想 全力考察 助かるために必要なこと

 ヒープリ11話、熱い回でしたね。

 ヒープリは、医療をテーマのうちのひとつにしつつも、あくまでもプリキュアであり、その魂の込められた弾丸で撃ち抜かれたような、そんな気分です。

 

 この記事はヒーリングっど♥プリキュア11話の感想考察です。ネタバレを含みますので未視聴の方はご注意ください。

 

 

 

頻出する「死」

 

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

ダルイゼン「あーあ。これでプリキュアともヒーリングッバイかな」

 

 ダルイゼンの半端ない煽り能力が発揮されるなかで、プリキュアの3人は成長したメガビョーゲン相手に悪戦苦闘します。ついにはラテを爆発から守ろうとしたことで、その爆風に吹き飛ばされてしまいます。

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

ラビリン「のどか、起きるラビ!」
ひなた「のどかっち、大丈夫? 死んでないよね?」
ちゆ「大丈夫よ、息してるから」

 

 ここで注目したいのは、「死んでないよね?」というひなたさんの発言です。

 ヒープリは、この「死」というワードが頻出しています。作中で「死」が用いられたのは、今回の11話で3回目になります。

 

(ビョーゲンズたちが地球を蝕んでいることについて)
ペギタン「でもそれは、ビョーゲンズ以外の命はどんどん弱って、死んじゃう世界ペエ」2話

 

(「イップス」状態のちゆが練習を重ねることを心配して)
ひなた「記録出なくても死なないし、ね?」8話

 

 以前の考察でも書きましたが、ヒープリがこのように「死」の空気を醸し出しているのは、物語の根底に横たわる、「いきる」というテーマに接続するものだからだと考えます。

 

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メガビョーゲンの蝕みが進むとどうなるのか

のどか「ねえラビリン、このままメガビョーゲンの成長が続いたらどうなるの?」
ラビリン「今病気にされているところは、二度と元に戻らなくなるラビ」

 

 ナノビョーゲンに感染し、発症(メガビョーゲン化)したものは、最終的には「二度と元に戻らなくなる(不可逆)」ようですが、要するにこれは「死」そのものです。病気が進行したら「死ぬ」というのは何らおかしな話ではありませんが、ここで変な誤魔化しをせず、はっきりと「二度と元に戻らない」と明言しているところに痺れます。(※1)

 

※1 ところで、8話ではメガビョーゲンのせいで陸上大会がめちゃくちゃにされていました。メガビョーゲンを浄化したあとも、めちゃくちゃになった会場はそのままで、けっきょく大会は中止になってしまっています。あのとき会場が元に戻らなかったのは、会場が「蝕まれた」ことでめちゃくちゃにされたわけではなく、怪物が現れ、人々が逃げ惑う過程でめちゃくちゃになったからなのでしょう。

 

「唯一の絶対的な正解」のない世界で

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

ひなた「あたしたち、やり方間違ったかな」
ちゆ「ひなた…」
ひなた「だって、めちゃめちゃ強かったよ! あたしたちがみんなビビんないで、手分けしたまま頑張って、自分の担当浄化できてたら、あんな強くなんなかったってことでしょう?」
ペギタン「ごめんペエ…僕たちの判断が良くなかったペエ…」
ちゆ「ペギタンのせいじゃないわ。わたしも賛成したもの」
ニャトラン「オレもニャ…」

 

 11話で「ぞくっ」としたのがこのシーンです。

 10話を視聴したとき、おそらく、少なくない視聴者がのどかさんの気持ちに共感しつつも、ラビリンの提案(いったん美術館を離れて、3人で合流して集中的にメガビョーゲンを浄化するべき)には賛成していたのではないでしょうか。実際、のどかさんは10話のラストでこう言っています。

 

のどか「ごめんなさい、ラビリン。やっぱりラビリンの言うとおりだった。あのままだったら、わたしひとりだったら、きっと守り切れなかった」

 

 そう、10話の段階では、この提案をしたラビリンと、それに賛同したちゆさんとひなたさん、そして最初は反対したのどかさんの全員が、「この選択が正しかった」と認識しているのです。これを目にした視聴者が、「3人が合流する作戦が正しかった」のだと思うことはごく自然のことです。

 

 しかし、11話では、それが一転します。

 のどかさん以外のメンバーは、 「自分達の判断は良くなかったかもしれない」と振り返ります。10話におけるラビリンたちの提案は「唯一の絶対的な正解」などではなく、「一個人が一生懸命に考えたひとつの解答」でしかないのだということが、11話では改めて示されているのです。

 

ラビリン達は「トリアージ」したのか

 前回の10話の記事で、私はラビリン達の提案を「トリアージ」と表記しましたが、改めて10話を振り返り、トリアージについて文献をあたってみたところ、私自身の認識不足もあったので、ここに再度考えをまとめておきます。

 

 まず、11話のラビリン達の台詞に鑑みると、ラビリン達は美術館を「見捨てるつもり」は全くなかったことが読み取れます。

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

のどか「そんなことないよ! だって、ラビリンたちの判断があったから、光のエレメントさんを助けられた。作品だって守れたし、長良さんの想いも守れた。水のエレメントさんも助けることができた。それは全部本当のことだよ!」
ひなた「でもけっきょく、最後のメガビョーゲンを浄化できなかったら、花のエレメントさんは…」
のどか「諦めなきゃいいんだよ! みんな、見捨てるつもりで、花のエレメントさんを最後にしたわけじゃないでしょ! 全部のエレメントさんを守りたい気持ちは、変わらないでしょ? だったら、どんなに難しくても、お手当てを続ける。それしかないんだよ」

(太字は著者による)

 

 正直なことを言いますと、10話を視聴したとき、私は無意識のうちにこう考えていました。「最後にしたエレメントさんを助けられなかったとしても、これはもう、しかたないんじゃないか」と。

 

 実際のところ、しかたないといえばしかたないんですよ。

 ラビリン達の作戦では、最後のエレメントさんを助けることがどうしても困難になる。光と水のエレメントさんは助けられても、花のエレメントさんは助けられないかもしれないという可能性は、もともと作戦の中に含まれていたはずです。

 

 でも、だからといって、「しかたないよね」で済ましていいの?

 最初から、見捨てるつもりでこの作戦を決行したの? 

 

 否、否、否。

 そうではありません。ラビリン達も、全員を助けるつもりで、この作戦を決行していたのです。私はてっきり、(少なくとも)ラビリンは、「最後のエレメントさんを助けられない可能性が高い」ということを受け入れたうえで、この選択をしていたのだと思っていました。が、そんなことはありませんでした。ラビリンの作戦は、「最後のエレメントさんを見捨てて、他のエレメントさんを確実に助ける」というものではなく、あくまでも「全員を助ける」というものだったことが、11話の描写からは読み取れます。

 

 よくよく考えると、それはそうですよね。

 ヒープリは医療をモチーフのひとつにしていますが、前提としてはプリキュアです。

 彼女たちは、「助けられないかもしれない」という状況の中でも、必死にもがき、立ち上がり、手を伸ばし続ける光の戦士であり、決して、助ける前から「この人を助けるのは無理だ」と諦める者ではありません。

 

 なお、実際の「トリアージ」には、どうしても「見捨てる」というニュアンスが含まれていますが、トリアージは、「見捨てることを前提」としたものではありません。トリアージの根底にある考えは、『「緊急度」や「優先度」等を総合的に考えたうえで、より多くの命を助けるために、限られた医療資源をどのように割り振るか』というものです。 

 

 災害医療は、平時の救急医療と異なり、医療需給が逼迫する。そのため、全ての傷病者に、最善の救急医療を行うことは、物理的に不可能となる。そこで、限られた医療資源をどのように傷病者に割り振るか、という問題が生じる。トリアージは、「最大多数に対する最大幸福の達成」を原則とする。そこでは、何よりもまず救命が優先される。

出典:災害時のトリアージの現状-救急医療の現状と課題 (後編) | ニッセイ基礎研究所

 

 そして、ラビリン達は、実際にこの考えに基づいて、例の作戦を決行したわけです。(※1)

 

 よって、「ラビリン達は最後のエレメントさんを見捨てるつもりだったか?」と問えば、その答えは「NO」となりますし、「ラビリン達はより多くの命を救うために、限られたリソースをどのように割り振ればいいのか考えていたか?」と問えば、その答えは「YES」となります。

 

 つまり、10話~11話では、「見捨てる=黒タッグをつける」という文脈ではなく、「限られた医療資源を割り振るにはどのような選択を取るべきか」という文脈において、トリアージが扱われていたエピソードだったと考えます。(※1)

 が、無理にトリアージという言葉に拘る必要もなく、単に、「限られた選択肢から何を選ぶか」という、プリキュア恒例の「選択」の物語だったとも言えるかと思います。

 

※1 10話のラビリンの思考をまとめると、こういう感じでしょうか。

  • 分散して戦っても勝ち目は薄い
  • 勝ち目の薄い戦いに拘っているとますますメガビョーゲンが強くなってしまい、美術館も、他のエレメントさんたちも助けられなくなってしまう
  • それなら3人で合流して確実に浄化していくべき
  • 川にいるメガビョーゲンあれば、浄化に手こずる可能性も低い(出現したのが遅いため)
  • 美術館のメガビョーゲンは浄化に手こずる可能性が高い(出現したのが早いため)
  • それなら、速やかに浄化できる可能性の高い川から浄化していくべき

 

※2 トリアージを行った際、「既に死亡している者又は直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能な者」につけられるのが、「黒色のタッグ」です。

 

※3 なお、トリアージの基本的な概念は、災害時にのみ適用するものではなく、日常の中でも存在しているものです。

● トリアージの基本概念は、必ずしも災害時に限らず、日常のなかにも存在する。

● 例えば、一般外来において多くの患者が待っていた場合、その時の状態によっては、長時間の外来診療に待てる状態でない患者が存在したとき、重症患者を優先して治療ができるように他の外来担当医師にも応援を依頼するなどの判断がトリアージとなる。

出典:災害時医療救護活用マニュアル【社団法人横須賀市医師会】

 

※4 トリアージで「黒色タッグ(救命の見込み無し)」を付けることの難しさについては、下記のニッセイ基礎研究所のページで詳しく書かれています。一部、引用させていただきます。興味があればどうぞ。

そもそも、傷病者に生命兆候がなく救命の見込みがない、と判断して、黒色タッグをつけることは、難しい。当災害における医療提供能力・体制と、傷病者全体の病態を踏まえた上で、その傷病者を救命したり、搬送したりすることが、全体の不利益につながると判断される場合に、黒色タッグを付けざるを得ない場合もある。しかし、現実に、そのような判断を下すことは容易ではない。

 

例えば、複数の傷病者の中に、気道を確保しても呼吸が再開しない傷病者がいたとする。この場合、START法に従えば、黒色タッグと判断することになる。しかし、心肺蘇生法を十分に施せば、もしかしたら、奇跡的に蘇生するかもしれない。けれども、この傷病者に心肺蘇生法を行えば、その分、他の傷病者に提供する医療が失われ、その結果、避けられた災害死につながってしまうかもしれない…。

出典:災害時のトリアージの現状-救急医療の現状と課題 (後編) | ニッセイ基礎研究所

 

ちゆとひなたの思考回路の一貫性

 一連のシーンにおける、ちゆさんとひなたさんの発言は、とても「らしいもの」でした。

 

ひなた「あたしたち、やり方間違ったかな」

 

ちゆ「でも、解決策が分からないんじゃ、どうにも…」

 

「やり方間違えたかな」と苦悩するひなたさんは、「またあたしやっちゃった」と後悔をしていた9話と被りますし、「解決策が分からないんじゃ…」と弱音を吐くちゆさんは、「課題の解決」を重視していた5話を彷彿とさせます。ヒープリは、それぞれのキャラクターが持っている特性が、良いように作用することもあれば、そうではないこともあるという、まさにその「表裏一体」な様を一貫して描いていることが読み取れます。

 

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10話との対比:のどかの「助けたい」がプラスにはたらく時

 そして、何と言っても素晴らしかったのは、のどかさんの熱い台詞です。

 のどかさんの行動原理は「助けたい」であり、それがマイナスにはたらいてしまいそうになったのが10話(美術館に留まることを選んで、作品を壊してしまいそうになった)でしたが、11話では一転、彼女のその「助けたい」という強い想いがあったからこそ、みんなは再び立ち上がることができました

 

 また、のどかさんの叫びに、他のみんなが動かされるのも道理です。のどかさんは、空虚な綺麗事を言っているわけではありません。のどかさんのこの台詞は、自らの実体験――それまで自分が他の人から助けてもらっていたという経験に基づいた、魂の叫びであり、だからこそ、これだけの説得力を帯びています。

 

 ヒープリのこういうところ、私は大好きです。

 

助けるためには本人の力も必要

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

のどか「それでも…」
医者「ごめんね、今すぐに君を治してあげることができなくて。でも、僕たちは諦めない。だからのどかちゃんにも、諦めずに戦ってほしい」
のどか「それでも、戦うことを諦めちゃったら、終わりだから」

 

 また、このヒープリが「うまい」のは、この回想シーンに二つの意味を含ませている点です。

 

 一つ目は、上記の通り、「助ける側の人間を鼓舞する」はたらき。

 二つ目は、下記の通り、「助けられる側の人間を応援する」はたらきです。

 

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ダルイゼン「分かっただろ? 無理なものは無理なんだって。見ろよ、あいつは諦めてるぜ」

 (略)

のどか「エレメントさん、諦めないで!」
ちゆ「あなたを助けたいのは、わたしたちだけじゃない!」
ひなた「先に助けた、光のエレメントさんも、水のエレメントさんも、あと、とにかくたくさんのエレメントさんも、みんなみんな言ってたんだよ!」
ちゆ「どうかあなたを助けてほしいって!」
のどか「だからお願い! いっしょにがんばって! わたしたちといっしょに!」

 

「助かるつもりのない者を助ける事はできない」とも言いますが、実際の医者も同じで、治りたいと思ってる人しか治せません。(※1)

 

 今回は、患者のエレメントさんが助かるのを諦めようとしていました。しかし、皆の想いを聞いて、もう一度踏ん張った事で、お手当てすることができたわけで、このあたりの描き方もさすがだなと思います。実際に病気を患っている子どもがこれを観て、励みになるようなことがあったなら…と、ひとりで想像しては胸を熱くしています。

 

※1 現実でも、治療を諦めてしまった患者を助けることはできません。また、「病は気から」という言葉がありますが、実際、大阪大学の研究では、ストレスが感染防御という免疫本来の機能を低下させることが示唆されています。

参考文献:共同発表:「病は気から」の根拠を実験的に証明 交感神経による免疫制御のメカニズムの一端を明らかに

 

終わりに:プリキュアが森で迷った理由

 1回目の視聴の時に、「どうしてだろう?」と思ったことがあります。それが、のどかさんたちが「森の中で迷子になった理由」です。

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

「そのためにもまず、早くこの森からでましょう
「そうだよ、レッツゴーゴーゴー! …で、どっち行ったらいいの?」

 

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

のどか「もしかして道を教えてくれているの?」
エレメントさん「お願いします。どうか、わたしたちの仲間を助けてください」

 

 のどかさんたちは、メガビョーゲンに吹き飛ばされて、森の奥で迷子になってしまいます。メガビョーゲンがどこにいるのか分からず、ひなたさんが「教えて~森さ~ん!」と叫んだとき、「とにかくたくさんのエレメントさん」たちが現れ、森の出口を教えてくれましたが、一連のシーンは何のために挿入されたのでしょうか?

 

 私が考えた理由は、次の二つです。

  1. みんなの迷いが吹っ切れたことを表すため
  2. たくさんのエレメントさん達が支えてくれていることを示すため

 

 一つ目。

 みんなが森で迷子になっていたことは、みんな(のどかさん以外)の心に「迷い」があったことの表れになっています。森を抜ける際には、明るい光が差し込む演出がされていました。迷子を解消することが、心の迷い(成長したメガビョーゲン相手にどうすればよいのか?)を晴らすことに繋がっていたわけです。

 

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 二つ目。

 迷子を解消するためには、他のエレメントさんたちの強力が不可欠でした。あそこでエレメントさんたちが登場し、「花のエレメントさんを助けてほしい」と懇願することによって、のどかさんたちの心に「絶対に助けるんだ」という熱い炎を燃え上がらせました。

 

 また、彼らのその想いを、ビョーゲンズに蝕まれて苦しむ花のエレメントさんに届けられたからこそ、花のエレメントさんも「踏ん張る」ことができたとも言えます。実際の医療でも同じで、たとえばのどかさんはお医者さんたち医療従事者から助けてもらいながらも、お母さんやお父さん、とにかくたくさんの人たちからの「助けたい」という想いを一心に受けて、「自分も頑張ろう」と思うことができました。

 

 他のエレメントさんもの声は、治療行為に直接関係するものではありませんが、確かに、花のエレメントさんにとっての「力」となり、治療を行うプリキュアの心を鼓舞させる「力」になりました。「助ける」という行為は、助ける側の一方通行の支援によって成立するものではなく、助けられる側、そしてその周囲のたくさんの人たちの想いがあって、果たされるものなのです。

 

特定外来生物:ヌートリア

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出典:ヒーリングっど♥プリキュア 第11話(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 11話のラストでは、メガビョーゲンの生み出した「新しい種」が、小動物の体内に寄生している様子が映し出されていました。私も他の方から知ったのですが、この小動物は「特定外来生物」にも指定されているヌートリアだと思われます。

 

日本で野生化したヌートリア
出典:Alpsdake - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

 特定外来生物が何かというと、環境省の説明が分かりやすいです。

「特定外来生物」とは、外来生物(海外起源の外来種)であって、生態系、人の生命・身体、農林水産業へ被害を及ぼすもの、又は及ぼすおそれがあるものの中から指定されます。

出典:環境省 どんな法律なの? | 日本の外来種対策 | 外来生物法

 

 さて、ヒープリは特定外来種を登場させることによって、どのような物語を描くつもりなのでしょうか?

 

 プリキュアは時にえげつない現実を描きますが、その根本にあるのは、「子どもたちのためのもの」という考え方です。本当に子どもたちのことを考えているからこそ、嘘で塗り固めた美辞麗句は見せず、あくまでも本当のことを見せながら、「子どもたちをエンパワメントする」ことを重視している作品です。(※1)

 

 ヒープリも「いのち」という重いテーマを背負いながらも、これまでのエピソードはどれも見ていて楽しく、心が躍るような、ワクワクするような、それこそ、「生きてるって感じ」を与えてくれる、素敵な作品です。そんなヒープリが、どのようなバランス感覚でこうしたヘビーなテーマに切り込んでいき、最後にはどんな世界を見せてくれるのか、私は楽しみでしかたありません。

 

※1 このことは、スタプリのインタビュー記事でも書かれています。

 以下、引用です。

柳川:「これを見せるべき」「伝えるべき」――。それを一方的に定義しないことが、プリキュアらしさなのかもしれません。先ほど田中さんから「寄り添う」という言葉がありましたが、付け加えるなら「エンパワメント」でしょうか。初代「ふたりはプリキュア」のシリーズディレクター・西尾大介さんも以前、プリキュアとは「日常の理不尽や疑問に向き合い、奮い立つためのパワー」を体現する存在、と話していました。それはスタプリでも受け継いでいきたい。

出典:「憧れの私、描くよ」 。スター☆トゥインクルプリキュア制作陣が子どもたちに伝えたいこと【インタビュー】 | ハフポスト

 

雑談:ダルイゼン・スーパー・煽りタイム

ダルイゼン「お大事に。…なんてね」

 

  くっ…憎らしい…けどカッコいい…(そこが好き)

 

  前回の10話の考察です。

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 ついに書いてしまったヒープリの二次創作です。妄想全開の百合小説なので人を選びます。

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