ディズニーの実写映画『クルエラ』を観たんですけど、これがもうたいへん面白い(殺伐)百合映画で大興奮でした。
※本文の途中からネタバレがありますのでご注意ください。ネタバレするときには大きい文字で注意喚起してます。
『101匹わんちゃん』知らないけど大丈夫?
クルエラというのは『101匹わんちゃん』に登場する悪役(ヴィランズ)の女性の名前です。つまり『クルエラ』は、クルエラがどのようにしてクルエラになったかを描く前日端、スピンオフ的な作品です。
ちなみに私が『101匹わんちゃん』を観たのは百年くらい昔のことで、正直内容はまったく覚えていませんでした。(犬がいっぱい出てくる映画くらいの認識)
そんな前提知識でも楽しめるかな~と思いつつジャケットのカッコよさに惹かれて観てみたんですが、結論から言うとバチバチに楽しめました。なので「『クルエラ」は気になるけど『101匹わんちゃん』知らないからな……」としり込みしている方は、何の心配もせずにそのまま観ていいと思います。(もちろん『101匹わんちゃん』を観ておけば小ネタ的に楽しめるところはいっぱいあるとは思いますが)
(以下、ネタバレです)
殺意と狂気、ひとつまみの純粋さ
クルエラは狂気のキャラクターです。でもその狂気の中には「ひとつまみの純粋さ」があって、そこがクルエラというキャラクターに親しみを持つ要因になっています。
たとえば、クルエラは悪いこと(盗みや詐欺など)を繰り返し行いますが、盗みは生活するための手段ですし、詐欺紛いのやり方で入社試験をクリアしたのもデザイナーになりたいという夢を叶えたかったからです。身勝手と言えば身勝手なんですけど、目的が「それなら仕方ないか(仕方ないわけではない)」というものであるのに加えて、「幼い頃に自分を愛し育ててくれた母を犬(ダルメシアン)に殺されて孤児になった」という設定がかなり強烈で、嫌悪感よりも同情や応援の気持ちが自然と勝っちゃうんですよね。
死んだ母に対する愛情はいまでも強く残っていますし、犯罪仲間のことも何だかんだ信頼しててピンチのときには自分の身よりも心配したり。親を殺したダルメシアンに惨たらしい復讐をするのかと思うと、そういうわけでもない。平然と悪いことをするし、狂気も含んでるけど、いつもギリギリのところで人間的な純粋さを見せて、「それだけは人間としてやっちゃダメだろ」というラインを踏み越えない。この匙加減がかなり絶妙で、見ているこっちとしては、「クルエラやばい女だな」と思いつつも、「でも憎めないんだよなぁ」と自然に懐柔させられるようになってるんですよね。
感情が限界に到達する母子殺伐百合
では、ここからはガンガンネタバレをしていきます。
クルエラの宿敵となるのはバロネスというファッション業界のドンです。
物語の前半では、バロネスはクルエラの類まれなるファッションセンスを見抜き、自らの会社のファッションデザイナーに引きこんだ、いわばクルエラの「理解者」でした。バロネスがいたからこそ、クルエラはずっと憧れだったファッションデザイナーになれたのです。恩人以外の何者でもありません。
しかし物語の中盤で、クルエラの育て親を殺したのが、他でもないそのバロネスであることが判明します。バロネスは飼い犬のダルメシアンをけしかけ、クルエラの育て親を殺したのです。
当然それを知ったクルエラはバロネスへの復讐を誓います。バロネスが自らのファッションブランドの新作を公開する際に、ゲリラファッションショーをぶつけることで、「バロネスよりも自分の方が優れている」ということを世間に知らしめるのです。
しかしさらにネタバレをすると、実はこのバロネス、クルエラの実の母なんです。バロネスはクルエラを産んだものの、自らのキャリアの邪魔になると考えて側近に「処分」を命じました。赤子殺しを命じられたバロネスの側近は、さすがにそれはできないと考え、クルエラをメイドに渡して逃がします。そのメイドがクルエラの育て親となって、後々、バロネスに殺されるわけです。
意味が分かるでしょうか?
つまりクルエラにとって、バロネスは自分と同じく類まれなるファッションセンスを持つ「好敵手」であり、自分のファッションセンスを認めてくれた数少ない「理解者」でありながら、自分の育て親を殺した「宿敵」であり、自分を産んだ実の「母親」だったのです。
やばくないですか????????
感情の導線がぐちゃぐちゃです。
そしてこのバロネス、ファッションセンスは素晴らしいものの、前述の通り相当ヤバい女です。平然と自分の産んだ赤子を殺そうとするし、クルエラの育て親を殺すし、大人になったクルエラのことも殺そうとします。
意味わかりますか?????
つまりクルエラの持つ「ファッションセンス」も、クルエラの「狂気」も、ぜんぶこのバロネスから受け継いだものだったんですよ
そしてクライマックスでクルエラが自分の娘だと知ったバロネスは、クルエラに甘い言葉で近づきます。いままでのことを謝罪し、これからは共に生きて行こうとクルエラに言うのです。
もちろんバロネスはそんな甘い提案をするような純粋なキャラクターではありません。バロネスが本気でそう言ってるだなんて、誰ひとり、観ているこっちも、誰ひとり、信じないでしょう。
それはクルエラも同じです。「狂気のバロネス」がそんなこと言うわけがない。ここが私のいちばん好きなシーンなんですが、クルエラがそのとき見せた表情の中には、ほんの少し、1%くらいの期待が含まれているように見えるんですよ。「実の母(バロネス)なら、私を受け入れてくれるかもしれない」という、「ひとつまみの純粋さ」が。
もちろんそんな期待は木っ端微塵に吹き飛ばされるわけですが、その後の締め方もたいへん良い。とても良い。
というわけでぜひ観てください。愛憎塗れる素晴らしい母子殺伐百合映画、『クルエラ』でした。ありがとうございました。