スタプリ21話ではひかユニが強調されて描かれていて尊かったですが、23話ではえれなさん、24話ではまどかさん、25話ではララ…というふうに、皆との繋がりがついに一巡しましたね。
5人が星座のように繋がっていく様子は涙なしには見られませんでした。
というわけで、スター☆トゥインクルプリキュア25話の感想考察(後編)です。
25話のネタバレがありますので、ご注意ください。
- お祭りには悪魔が潜む
- 「ハメられた」:ユニは大げさに驚く
- ①ひかるはユニに教える
- 花火:それはトラウマを蘇らせるスイッチ?
- ララとユニ、あるいは昔のララ
- ②ララはユニに教える
- きっと、テンジョウは守れなかった
- ③ユニはみんなに教える
- ユニがララの手を取るとき
- 花火:それは希望のシンボル
- そして、思い出になる
- スタプリ25話の感想考察まとめ(後編)
お祭りには悪魔が潜む
小ネタです。
みんながヨーヨー釣りや射的、輪投げを楽しんでいる一方、ユニはやはり浮かない顔のままです。ユニの心には、負の感情が押し寄せていることが分かります。
また、ユニの後ろにある出店の名前をご覧ください。
他の出店の名前はどれもシンプルに「かき氷」「ベビーカステラ」なのに、この場面で映されるたこ焼き屋だけ、なぜか「あくまのたこ焼き」という少し凝った名前になっています(元ネタは話題にもなったローソンで販売されている「悪魔のおにぎり」でしょうか)
ここで悪魔という単語が用いられているのは、ユニの心に忍び寄る負の感情を表現している…というのは深読みのしすぎでしょうか。
「ハメられた」:ユニは大げさに驚く
ユニ「あなた達、わたしをハメたわね!」
ここで咄嗟に「ハメる」という大げさな言葉が出てきて最初何でだろうと思ったんですが、変化はユニの十八番であり、これまでユニ自身が相手をハメるために変化することも多かったので、自分が「化かされた」事に対して「ハメられた」と過剰に反応したのかなと考えました。
あと、レインボー星人には変化能力があるため、仮の姿に変身するための道具は必要としておらず、「お面」や「仮面」を被るといった文化が存在しなかったのかもしれません。だからなおさら驚いたのかな、と
①ひかるはユニに教える
浮かない顔のユニの手を引き、一緒に金魚すくいをしようと誘うひかるさん。
ひかる「何匹すくえるか、競争しよう!」
と声をかけるわけですが、ひかるさんは本当は競争して勝ちたいわけではありません。ユニと一緒に遊びたい、ユニに笑顔になってもらいたいと考えての提案であることは、金魚のすくい方をアドバイスしたり、ユニが金魚をすくえたときに自分のことのように喜んで見せるカットを見れば明白です。
ひかるさんのアドバイスのおかげでユニは金魚をすくうことができたわけですが、このシーンは後半パートで形を変えて再登場することになります(後述します)
花火:それはトラウマを蘇らせるスイッチ?
楽しげな笑みを浮かべていると思ったのも束の間、花火のポスターを見たユニは、途端に表情を曇らせます。
花火のポスターを見て、ユニは故郷である惑星レインボーのお祭りを思い出し、そして石化してしまった大切な人・オリーフィオのことを思い出すのです。
ユニの心のなかには常に石化した仲間たちがいます。
前回の考察でも触れましたが、ユニにとって、目の前のお祭りを楽しむこと、辛いことを忘れて今を楽しむことは、石化した仲間たちへの裏切りだという一種の罪悪感があるのかもしれません。
※ユニの心情については、こちらの記事で詳しく考察しています。
そしてユニは、お面を被ります。
お面は、スタプリ21話以前まで着けていたサングラスと同じく、「本当の想い」を隠すための道具として用いられています。
本当の想いを隠し、再び心を閉ざしたかに見えたユニ。
そんなユニに近づき、声をかけたのは、同じく異星人のララでした。
ララとユニ、あるいは昔のララ
なぜユニのあとを追ったのはララだったのでしょうか?
その問いに答える前に、次のカットをご覧ください。
ユニ「これ本当においしいの?」
ララ「わたしも初めてルン。食べてないのに決めつけはなしルン」
地球の食べ物・りんご飴を見て、「おいしいの?」と疑問を投げつけたユニに対して、「わたしも初めてルン」とララは答えます。
そして注目すべきは次の台詞、「食べてないのに決めつけはなしルン」です。
決めつけはなし、という台詞を覚えている方は多いかと思います。
そう、最初にこの台詞をいったのは、ひかるさんです。
ララ「石を食べるルン?」
ひかる「いや まぁ 形はよくないけどおいしいよ!」
ララ「うぅ…だ…大丈夫ルン」
初めておにぎりを見たララが「石を食べるルン?」と怯えていたとき、「決めつけはなしだよ」とひかるさんはいいました(スタプリ2話)
その言葉を受け、勇気を出してひとくち食べたララは、おにぎりの美味しさを知りました。ララがはじめて地球の文化に直接触れた場面でした。
ララはそのときのことをはっきりと覚えていたのでしょう。
ひかるさんからもらった言葉を、今度はララがユニにいうのです。
リンゴあめを差し出され、お面を取ったユニは、嘘を吐いたり強がりを吐いたりすることはやめて、本当の想いをララに話します。
ララ「もしかしてお祭り嫌いだったルン?」
ユニ「そんなことないわ」
ララ「じゃあどうして楽しまないルン?」
ユニ「いまのわたしは仮の姿だから。宇宙アイドルも宇宙怪盗も本当のわたしじゃない。いまあなたたちとプリキュアをやっているのも、ペンを集めて惑星レインボーのみんなを救うため」
どうしてお祭りを楽しまないのか、と問われたユニは、「いまのわたしは仮の姿」だからだと答えます。そして、プリキュアをやっているのは、惑星レインボーのみんなを救うためなのだ、と。
ぱっと聞くと何となく納得しそうになりますが、ユニはララの質問に答えているようで答えていないような、絶妙な回答をしています。
というわけで、文脈のあいだを埋めてみました。おそらくこういうことだと思います。
Q.お祭りは嫌い?
A.お祭りは好き。
Q.じゃあどうして楽しまない?
A.いまのわたしは仮の姿で、本当のわたしではないので、本当の意味でお祭りを楽しむことはできない。プリキュアをやっているのも、ララたちと仲良くしたいからやっているわけではないし、ララたちのことを仲間だと思ってやっているわけでもない。自分の目的はただひとつ、ペンを集めて惑星レインボーのみんなのことを救うこと。お祭りを楽しむことはみんなを救うことに繋がらないので、参加しない。
また、ユニがここで「本当のわたし」という言葉を使っているのが印象的です。
変化能力に長けているユニは、レインボー星人の姿以外は「本当のわたしではない」と考えているようです。
確かに、宇宙アイドルのマオは情報を集めるために、宇宙怪盗ブルーキャットは奪われた仲間の宝を取り返すために、バケニャーンはノットレイダーのアジトに潜入するために作り出した仮の姿でした。
どの姿も「仲間を救うため」だけに作られたものであり、特にマオやバケニャーンはユニの本来の性格とはだいぶかけ離れた振る舞いをしていました。
ユニはそれらの姿を「仲間を救うための道具」として捉えていて、だからこそ「本当の自分ではない」と感じているわけですが、果たしてそれは本当でしょうか?
私はそうは思いません。
アイドルとして観客を笑顔にしてきたマオの歌は「本当」ですし、宇宙怪盗として仲間を救おうとしていた想いも「本当」ですし、お祭りを楽しんでいるその心も「本当」なのです。
そのことは、キュアコスモの変身バンクからもうかがい知ることができます。
ユニの変身バンクでは、これまでユニが化けてきた姿が次々に出現していき、最後の変身として「キュアコスモ」になるという演出がされています。
これは、どの姿が本当だとか、どの姿が嘘だとかではなくて、化けていた姿も含めて、どれもまた「ユニ」であるということを示しているのだと思うのです。
結論:バケニャーンはいます!
ユニの変身バンクについては、こちらの記事で詳しく考察しています。いまの話や、三角プリズム、虹などについて書いています。
②ララはユニに教える
ララ「それにみんなといると宇宙が広がるルン」
ユニ「宇宙?(夜空を見上げる)」
ララ「その宇宙じゃないルン。みんなのおかげで心のなかの宇宙が無限に広がっていくルン」
あなたも異星人なのに、どうして地球人と遊んでいられるの?
ユニからそのように問われたララは「みんなといると心のなかの宇宙が無限に広がる」と答えます。
「心の宇宙」といえば、これを思い出した方も少なくなかったでしょう。
パぺピプ☆ロマンチックです。
夜空の宇宙を覗いてみよう
(びゅーん びゅーん びゅびゅーん びゅーん)
心の宇宙を覗いてみよう
(びゅーん びゅーん びゅびゅーん びゅーん)出典:パぺピプ☆ロマンチック(スター☆トゥインクルプリキュア ED)
ところで、心の宇宙とは、いったい何なのでしょうか?
ひとことで表すならば、それは「想像力」という言葉が合うように思います。
ララはひかるさんたちと出会うことによって、様々な経験をしてきました。
自分とは違った価値観や考え方、自分の知らない風習や出来事を経験してきたララの「想像力」は、それまでよりもずっとずっと広がっています。
そしてもうひとつ重要なことは、自分の心の宇宙が広がっていることにララ自身が気付いている、ということです。
いま一度、スタプリ2話でのララとひかるさんのやり取りを振り返ってみましょう。
ひかる「本っていいんだよ 色んな所に行けるんだから」
ララ「行けるって ワープ機能が?」
ひかる「ちがうよ 本を開くと頭の中が楽しい想像でいっぱいになるの 宇宙なんて何十回 何百回も行ってるよ」
ララ「オヨ…ただの想像ルン」
この頃のララは、ひかるさんの想像力を褒めるどころか、呆れてすらいます。
そんなララが、23話分の時を経て、「みんなといると心の宇宙が無限に広がる」というのです。
ララの成長についてはこれまでにも語ってきたとおりですが、今回ララがこの発言をしたことは、「ララがここまで変わっている」ということを如実に表していて、とてもとても尊いなと思うのです。
さて、そんなララに対して、ユニはこう答えます。
ユニ「悪いけどわたしにはわからないわ。」
ララの考えがよく分からないと切り捨て、人に頼らずすべて自分でやるといい放つユニは、やはり過去のララ、ロケット修理をひとりでやるといってみんなを追い出しスタプリ6話あたりを彷彿とさせます。
ではここで改めて、先ほどの問いについて考えてみましょう。
なぜユニを追いかけるのはララでなくてはならなかったのか?
答えは明白です。
ユニの気持ちを誰よりも「想像」できたのが、ララだったからです。
ララはユニに過去の自分を重ねています。
同じ異星人であり、過去の自分と同じように考え、行動しているユニの気持ちを、ララは痛いほど理解していたのでしょう。
だからこそ、ララはユニを追いかけたのです。
だからこそ、ララでなくてはならなかったのです。
ひかララがどのようにしてひかララしてきたのかについて考察を加えながらまとめた記事です。
きっと、テンジョウは守れなかった
ひかる「コスモはわたし達が守る!」
テンジョウ「言うのは簡単。でもあなた達に勝ち目はないわ」
小ネタです。
ユニは分身した巨大ノットレイに捕まってしまいます。
そこへ4人が駆け付けるわけですが、そのときのテンジョウさんの台詞が何とも意味深に聞こえたのは私だけでしょうか。
この部分です。
テンジョウ「言うのは簡単」
なぜテンジョウさんは「言うのは簡単」だという事を知っているかというと、ノットレイダーに加入する前、他でもないテンジョウさん自身が「誰かを守る」と言って守れなかったからではないか…と、そんな妄想をしてしまうのです。
テンジョウさんが天狗の仮面をかぶり、個性を嫌っている理由などについて考察しています。
③ユニはみんなに教える
巨大ノットレイがユニのことを盾に使い、思うように攻撃できない4人。
どうすれば…と悩んでいるところに、「ノットレイたちは元々は一体で、他は分身」であることをユニがみんなに教えます。
ユニはひとりだけの力では分身した巨大ノットレイに勝つことはできませんでしたが、4人のメンバーも、ユニの助言なしには勝つことはできなかったでしょう。
ユニは4人のメンバーに救われるだけの存在ではなく、4人のメンバーもまたユニに救われていて、みんながそれぞれ手を取り合うことでノットレイに打ち勝ったことが描かれた素敵なシーンでした。
スタプリは、人と人との繋がりを描いている作品です。
どちらか一方が相手に与えるだけの関係ではなく、双方が双方に良い影響を与え合う良好な関係を丁寧に描写しています。
今回のお祭り回だけでも、ひかるさんはユニに金魚すくいのコツを教え、ララはユニに心の宇宙のことを教え、そしてユニはみんなにノットレイの弱点を教えるわけです。
スタプリのこういう「丁寧さ」が、私は大好きです。
遼じい「星座とは、まるで人と人とのつながりのようだね」
ちなみに、ララがユニと話しているときの回想シーンで、遼じいが上記のようにいっている場面が映し出されたのは、遼じいのこの台詞が、ララに大きな影響を残し続けている言葉であると同時に、スタプリという物語の根幹にある考えだからでしょう。
スタプリ6話の振り返りです。サザンクロスの解説や考察などもしています。
ユニがララの手を取るとき
花火を見るため、ララの提案でロケットの上に登るシーン。
これがまた、めちゃめちゃ尊かったですね。
何が尊いかって、誰にも助けを求めないといっていたユニが、ロケットの上に登るためにララの手を借りているんですよ。ララとの対話、そしてテンジョウさんとの戦闘を経て、ユニの心に「何か」が芽生えたことが表れています。
しかも、注意深く見てみると、ひかるさんもよじ登るユニを支えようとしているし、えれなさんとまどかさんもユニの事を見つめています。
この時、目の前では花火が打ち上がってるのに、皆は花火ではなくユニのことを見ているわけです。
いや、最高に尊くないですか?
フワとプルンスは花火に夢中。
ちなみに、このシーンはアバン(冒頭)でひかるさんがユニの手を引くカットと対比になっていることにも触れておきます。
アバンでは、ひとりで木の上にいたユニが、ひかるさんに手をつかまれてみんなのいるところに引きづり降ろされています。
そしてラストでは、ユニが自分からみんなのいるロケットの上に行くために、ララの手をつかむのです。
花火:それは希望のシンボル
今回、ユニは惑星レインボーの回想を3回もしています。
一度目と二度目は花火のポスターを見たとき。
前述したとおり、石化した仲間のことを思い出したユニは、居ても立っても居られなくなり、お祭り広場から逃げ出してしまいます。
しかし、三度目のとき。
ロケットの上でみんなと実物の花火を見上げたとき、ユニの表情には変化が訪れます。
この顔…この表情…!
ユニにとって、惑星レインボーでのお祭りは、心から楽しかったものなのでしょう。花火のポスターを見たときには、仲間が石化してしまったことを思い出して悲しみに暮れていたユニですが、だからといって大切な仲間との想い出を胸の奥に押し込めることはないということに気付いたようです。
もう、ユニにとって、花火はトラウマを蘇らせるスイッチではありません。
それは希望のシンボルであり、復活の狼煙なのです。
そして、思い出になる
最後に、もう一度タイトルを振り返ってみましょう。
25話のサブタイトルは、「ユニの思い出」です。
ユニの思い出とは、惑星レインボーでのお祭りのことを指しています。
しかし、最後まで視聴し終えると、今回の観星町でのお祭りが、ユニの心に「何か」を残したこと、そして「ユニの思い出」の一部に加わったことがはっきりと分かります。
サブタイトルの「ユニの思い出」とは、惑星レインボーのお祭りと今回のお祭り、その二つを指しているのです。
みんなとの思い出をつくっていくユニ。
そんなユニの心の宇宙は、ゆっくりかもしれませんが、確実に広がっていくことでしょう。
スタプリ25話の感想考察まとめ(後編)
- みんなが繋がっていく様子が描かれてて尊い
- ユニは昔のララのよう
- 花火はトラウマを呼び起こすが、最後には希望を示す
- テンジョウは昔、誰かを守れなかった説
- ユニがララの手を取るシーンがまた尊い
- サブタイトルには二つの意味が込められている
スタプリ25話(前編)の考察/感想です。頬をぷーっと膨らませるユニ、かわいすぎましたね。
謎多きオリーフィオやユニたちレインボー星人の秘密について考察した記事です。
いろいろ書きましたが、みんなの浴衣姿はとにかくかわいくてかわいかったですね。
次回のパジャマパーティ回もすごく楽しみです。ユニちゃんはまたひかるさんの服を借りるのかどうかが気になりすぎて寝不足な毎日です(寝ろ)
以上 、スター☆トゥインクルプリキュア25話の感想や考察、妄想でした。
長々と読んでいただきありがとうございました。
※スタプリのコミックスの発売日が近づいてきました(2019年8月9日)
とてつもなく尊いことで有名なプリキュアのコミックスですが、早く発売日にならないかと毎日そわそわし続けています。楽しみでしかたありません…!