スタプリ34話、完全に油断していました。サボローさんを歓迎するほのぼの回かと思いきや、その裏に隠されていたテーマはめちゃくちゃヘビーでしたし(脚本に虚淵さんがいるのではないかと一瞬目を疑いました)、えれなさんとサボローさんのやり取りには素直に涙を禁じえませんでした。
この記事はスター☆トゥインクルプリキュア34話の感想考察をしたものです。34話のネタバレがありますので未視聴の方はご注意ください。
- サボローには「耳」がない?「口」がない?
- 伝わらない30秒間
- えれなは一緒に水に足を入れる
- 壁に描かれたサボテンの伏線
- 壁のサボテン絵を描いたのは誰?
- 天宮えれなは「分かり合える」と言わない
- サボローの気持ちは「視聴者の想像」に委ねられる
- スタプリ34話の感想考察まとめ
サボローには「耳」がない?「口」がない?
スタプリはこれまでも「対話による相互理解の大切さ」を描いてきた作品ですが、そうした「対話」「相互理解」の難しさを描くために登場したのが今回のサボローさんです。まず、サボローさんには言葉が通じません。これまではペンダントが通訳としての機能を果たすことで、どんな異星人とでも「言葉による対話」をすることができましたが、サボローさんには通じません。なぜサボローさんと会話ができなかったのか、その理由は次の2点のいずれか、あるいはその両方が考えられます。
- サボテン星人には聴力がない
- サボテン星人には口がない
1、サボテン星人にはそもそも聴力がないため、えれなさんたちの声が聞こえていなかったとする説です。サボローさんには耳らしきものは見当たりませんし、植物が進化した姿なのだとしたら、耳という機能を持っていないのもうなずけます。
2、サボテン星人は言葉を発語するための口がないとする説です。実際、サボローさんには口らしきものが見当たりませんし、植物が進化した姿なのだとしたら、口という機能を持っていないのもうなずけます。水を飲むにしても、サボローさんは足から飲んでいるので、こうなると「口」という機能は必要ではなさそうです。
伝わらない30秒間
サボローさんが何を言おうとしているのか分からないということを強く印象付けたのが、上記のシーンです。このとき、サボローさんのジェスチャーはおよそ15秒間連続して続きます。その間、視聴者にはジェスチャー以外の情報はまったく入ってきません。主要キャラクターがヒントを出したりすることもなく、謎は謎のまま、その状態が15秒間も続くのです。
(子供向け)アニメにおいて、15秒間というのは決して短い時間ではありません。ましてや、メインターゲットの視聴者は、じっとし続けることの難しい3~6歳の子どもたちです。15秒間も意味の分からない表現をされれば、頭のなかには次々と疑問符が浮かび上がることでしょう。
ようやく15秒が過ぎたとき、ひかるさんが「分かった!」とひらめきます。ここで視聴者はある種の安心感、ようやくサボローさんの伝えようとしている内容を解説をしてくれるのかと安堵しそうになりますが、けっきょくひかるさんの「分かった!」も検討違いであることが発覚します。
この間、さらに18秒。
つまり、スタプリは合計30秒以上をかけて、「サボローさんが何を言おうとしているのか分からない」という描写を描いたわけです。このことは、視聴者に対して「サボローは何を言おうとしているのだろう?」と考えるキッカケづくりを与えるには十分な時間です。また、これらは今回の話の主要テーマにもなっていた「分かり合うことの難しさ」を描くための重要なシーンだったと言えます。
※スタプリは、こうした「間」による表現が巧みです。たとえばスタプリ13話においても、えれなさんとまどかさんが無言でララを見つめるカットが繰り返されることで、二人の胸中を暗に示しつつ、緊張感を醸し出す効果が生まれていました。
えれなは一緒に水に足を入れる
サボローさんが「喉が渇いていた」のだと言い当てたえれなさんは、さっそく、サボローさんと一緒に足を水のなかに入れます。もちろん、えれなさんは足から水を飲むことなどできるはずもありません。ですが、自分と同様の行為をするえれなさんを見て、サボローさんは「自分が受け入れられている」ことをつくづく感じ取ったことでしょう。えれなさんの細やかな気配りが光る、良いシーンだったと思います。
(笑顔になるサボローさん)
壁に描かれたサボテンの伏線
えれなさんちの壁には サボテンの絵が描いてあって、「天宮家はサボテンが好きなんだな~」と和やかな気分で観ていたんですが、ふとスタプリ14話(えれなの弟・とうま君の回)を見返してみたら、この時から既にサボテンの絵が描かれていて、その用意周到さに思わず舌を巻きました。天宮家のサボテン好きは、14話の時点で既に伏線が張られていたわけです。
次に、飾られている絵(紙に描かれているもの)に注目してます。14話のときには、「家族」が描かれています。そして14話はまさに「天宮家」をテーマにした話でした。
今回の34話はサボテン型の異星人・サボローさんをテーマにした話であり、飾られているのは「サボテン」の絵です。つまり、天宮家で飾られている絵は、そのときのエピソードを示すモチーフになっていることが分かります。
(私はこういう遊び心が好きなので、つい喜んでしまいます)
※えれんさんちの内部が初めて明かされたスタプリ14話、ひかるさんに救われたララがとうま君を救ったことなどについて考察しています。
壁のサボテン絵を描いたのは誰?
ところで、ここでひとつの謎が残ります。
それは、壁に直接描かれたサボテンの絵は、いったい誰が描いたのか? ということです。次の3つの仮説を考えてみました。
- 弟や妹たちが描いた
- えれなが描いた
- 親が描いた
弟や妹たちが描いた
1、壁のサボテン絵はやや幼さの残る画風に見えます。よって、弟や妹たちが描いたと考えるのはもっとも合理的です。
ただ、この説にはひとつの疑問点があります。それは、サボテンの上の方をどうやって描いたのか? ということです。弟や妹たちの背丈では、とうてい上の方まで届きません。ではどうやって「背が届かない」ことを解決したかというと、
①椅子などの上に乗って描いた
②えれなや両親に手伝ってもらった
の2パターンが考えられます。
しかし、①のパターンを考えるにしても、幼い弟や妹たちが不安定な椅子の上に乗るのを、えれなさんや両親が放っておくのは考え難いので、いずれにしてもえれなさんや両親の手助けがあったと考えるのが妥当でしょう。そして、えれなさんや両親が手伝ってあげたのであれば、「家の壁にサボテン絵を描く(ずっと消せずに残る)」というのは、家族の総意によるものか、同意があってこそのものでしょうから、天宮家は全体的に「サボテンが好き」だと考えられます。
えれなが描いた
えれなさんが描いたにしてはやや幼いように見えますが、えれなさんの絵は見たことがないので100%ないとも言い切れません。
発想を変えれば、「えれなさんが子ども時代に描いた」と考えることもできるでしょう。ひかるさんが幼いころからカッパに興味津々だったように、えれなさんも幼いころからサボテンに興味津々で、そんなえれなさんがもともと大好きだったサボテンと「友達」になれたのが今回の34話だったのです。
親が描いた
えれなパパ・カルロスはメキシコ人です。メキシコでは日常的にサボテンを食していたり、サボテンとは縁の深い関係にあります。(誤解されがちですが、メキシコのお酒・テキーラの原料はサボテンではなく、竜舌蘭《アガベ》という多肉植物です)
そういうわけで、故郷のことを思い出して、カルロスはサボテンの絵を描いたのかもしれません。背の高いカルロスならば、上の方まで絵を描いたのもうなずけます。
結論
個人的にはえれなさんが子どものときに描いた説が尊くて好きです。
※スタプリ22話、七夕のエピソードのとき、ひかるの祖父・春吉さんは短冊を書いたのか? という考察をしています。もうお分かりだと思いますが、こういう考察、好きなんです。無駄にめっちゃ考えてます。
天宮えれなは「分かり合える」と言わない
スタプリという作品は、その明るい雰囲気とは裏腹に、描いている内容はけっこうヘビーなものが多々あります。 今回のスタプリ34話も、「超重量級」のテーマが描かれていましたが、それは「惑星サマーン編と対になっている」とも言えます。
惑星サマーン編は、「サマーンの価値観に沿った結果、家族がララのことを無自覚に傷付けてしまう」という物語が描かれていました。
一方、今回のサボロー回は、「地球の価値観に沿った結果、サボローのことを無自覚に傷付けてしまう」というものでした。
ロロたちがララのことを無自覚に傷付けたように、今回はえれなさんがサボローさんのことを傷付けてしまったわけです。
しかも、えれなさんのしでかしたことは、サボローさんにとっては「同胞を贄に捧げられる」ようなものです。人類が飼育されている惑星に行った際、歓迎の証として人類の屍をプレゼントされるようなものです。それで冷静でいられるはずもありません。現に、サボローさんは穏やかな表情から一変、怒りに満ちた表情になり、踵を返して帰ってしまいます。
※惑星サマーン編の考察です。サマーン編、あまりにも好きすぎて吐きそうでした。スタプリに「魔法つかい」はいない、ということなどについて書いています。
※スタプリは「何でもできる」とは言わない、ということについて考察した記事です。若干ハグプリにも触れつつ書いています。
残酷すぎる対比とえげつないほどの断絶
ここで、少し時間を巻き戻してみましょう。
サボローさんが同胞たる花々に対して敬意を示していることは、それよりも前のカットから十分すぎるほどうかがえます。次の画像をご覧ください。
自然に生えている花々に対して、帽子を取っておじぎをしています。サボローさんがどれだけ植物のことを大切に想っているかは、このカットから痛いほど伝わってきます。しかも、これを見たえれなさんは、満面の笑顔を浮かべて、「わたしも好き」と言うわけです。
あまりにも残酷すぎる対比と、えげつないほどの断絶。
えれなさんは心からの笑顔を見せて、「わたしも花が好き」と言っています。「花が好きなのはわたしも同じだよ」ということを100%の善意で伝えているわけです。
しかし、両者の「花が好き」という感情は、まったくベクトルの異なるものです。
サボローさんは、同胞としての花に敬意を示している一方、花屋のえれなさんは観賞やプレゼントとして花を好いています。サボローさんが植物型であるためにオブラートに包まれていますが、いうなれば、牛型の異星人に対して「牛が好きなんだ? 私も好きだよ!(おいしいよね)」と言うようなものです。「花が好き」であることは同じであっても、種族の異なる二人には、圧倒的な「断絶」があります。
さて、この断絶を埋めるには、どうすればいいのでしょうか? そもそも、この断絶を埋めることは可能なのでしょうか?
この問題については、えれなママ・かえでさんがヒントを出してくれていました。
かえで「えれな、いくら英語やスペイン語が上手に話せてもね、わかりあえないことだってあるのよ」
えれな「え? そうなの?」
かえで「わかりあうのは簡単なことじゃないわ。だからこそ、相手のことをもっとよく知らないとね。笑顔も大事だけど、もっと大事なのは、理解しようとすること」
えれな「理解…」
これまで、えれなさんがもっとも大切にしていたのは「笑顔」でしたが、かえでさんからは「いちばん大事なのは笑顔ではない」との言葉を受けます。じゃあ何がもっと大事なのか、それは「理解しようとすること」だと言います。
えれなさんは今回、「笑顔」をもってサボローさんをもてなしていました。しかし、その結果、サボローさんを怒らせてしまうことになります。えれなさんは「笑顔」になってもらうことに重点を置きすぎて、「サボローさんの価値観」を理解しようとすることがおろそかになってしまっていたわけです。
ここで留意すべき点は、「相手のことを理解することが大事」とは言っていないということです。かえでさんは、あくまでも「相手のことを理解しようとすること(≒想像力)が大事」なのだと言っています。
実際に理解できるかどうかが重要なのではなく、理解しようとする姿勢があるのか、その姿勢が相手に伝わっているのか、そういったことが大事なのだと言っているわけです。
だからこそ、テンジョウさんから「違う星の者同士わかりあえるわけがない」と嘲笑されたとき、ソレイユは「わからないからって何もしないのは嫌だ!」と叫ぶのです。
ソレイユ「サボロー、やめよう。あなたと戦いたくない!」
テンジョウ「笑わせるわね。そんな言葉がこいつに届くとでも? 違う星の者同士、分かり合えるわけないのさ!」ソレイユ「確かに言葉は届かないかもしれない。わかりあえない相手もいるかもしれない。けど、わからないからって、何もしないなんて、そんなの、そんなの…わたしは嫌だ!」(※1)
ソレイユは「言葉は届かないかもしれない」「わかりあえない相手もいるかもしれない」ということを前提にして話しています。道徳としてありがちな、「どんな人でも話せばわかり合える」といった綺麗事は決して言いません。これは、スタプリという作品が、子どもたちにどこまでも真摯に向き合っている証でもあります。
※1 ちなみに、テンジョウさんはソレイユからの反論を受けて、次のように発言しています。
テンジョウ「フン。だからお前たちは甘いのよ!」
テンジョウさんは、「違う星の人から差別や迫害を受けていた」のかもしれません。だからこそ、「違う星の者同士わかりあえるわけがない」「お前たちは甘い」という言葉が口から出てくるのだとも考えられます。
スタプリ31話、ガルオウガ様の発言から、ノットレイダーの事情などについて考察しています。
www.konjikiblog.com
価値観が違っても変わらないもの
サボローさんに踏み潰されそうになったとき、ソレイユはそれを防御するわけでもなく、避けるわけでもなく、反撃するわけでもなく、ただただその場にとどまりながら、あの「ハートサイン」を作りました。
このシーンで心を揺れ動かされた方は少なくないかと思います。
ハートサインはサボテン星人の文化でもあり、地球(日本)の文化でもあります。 どれだけ住む星が違っても、どれだけその価値観が違っても、共通するものはあるのだとスタプリは示しています。ここでは「ハートサイン」がその象徴として使われていましたが、さらに言うならば、サボテン星人と地球人とで共通しているのは、「大切なものを想う気持ち」そのものです。
ソレイユのハートサインを見て、サボローさんもそのことに気付きます。そして、自分に花をプレゼントしてくれたえれなさんが、地球人なりのやり方で「大切に想う気持ち」を表現してくれていたのだと悟るのです。
要するに、今回の話では、サボローさんが大切にしているものとえれなさんが大切にしているものは違うかもしれないけれど、何かを大切に想う気持ちそのものは同じなのだということが示されていたわけです。
サボローの気持ちは「視聴者の想像」に委ねられる
さて、最終的にはサボローさんはえれなさんに自分の体に咲いた花をプレゼントしたわけですが、このときのサボローさんの気持ちはいったいどのようなものだったのでしょうか? 同胞である花々をちょん切り、売っていたえれなさんに対して、なぜサボローさんは花をプレゼントしたのでしょうか?
私たち視聴者に与えられた情報は次のものです。
- サボローはそれまで自分の体を隠していた服を脱ぎ捨てた
- サボローに花が咲いた
- 花をえれなにプレゼントした
- サボローは笑顔だった
前半パートにて、ジェスチャーを張り切りすぎるあまり、サボローさんの服が脱げてしまった場面がありました。このとき、サボローさんは慌てて服を着直していました。
なぜこのときサボローさんは慌てていたのかは明確な答えは不明ですが、考えられるとしたら、
- ①服がないことで羞恥心を覚えた
- ②本当の自分を見られると受け入れてもらえないと思った
といったものでしょうか。
①、サボローさんは服を着ていないことで羞恥心を覚えていたものの、最終的にえれなさんと仲良くなり、目の前で服を脱ぎ、「花が咲いた(植物の生殖)」…そう考えると、一連の描写は性的な事象の暗喩(メタファー)として捉えられなくもないですが、スタプリが子ども向けの作品であること、今回の話の趣旨から逸れてしまうことなどから、少なくとも製作スタッフにこうした意図があったとは考えづらいように思います。
(実際、前半パートで服が脱げてしまったサボローさんが浮かべていた表情は、「羞恥心」というよりは単なる「焦り」のように見えます)
②、サボローさんは過去にも様々な星を訪れていたことが回想シーンで描かれており、そのときになかなか歓迎してもらえず、怖がられたり、迫害されたりすることを繰り返してきたことがわかります。
サボローさんは他の星では「自分が異端者」であることを痛いほど体験してきているので、自分の体をなるべく見せたくないと思っていたのではないでしょうか。
そんなサボローさんがえれなさんに自分の姿を見せたのは、えれなさんに対する信頼感の表れであると言えます。「自分はえれなから受け入れてもらえている」「花をプレゼントすることでえれなに笑顔になってもらいたい」とサボローさんが考えた結果、邪魔となる服を脱ぎ捨てたのでしょう。
また、34話の好きなところは、最後の最後までサボローさんが言葉を発しない点です。
サボローさんの胸中がどういうものだったのか、その詳細は明示されないまま終わります。私は上記のとおりいろいろ考えてみましたが、私だけではなく、物語が終わったあと、視聴者の多くはサボローさんの気持ちを「想像」したことでしょう。すべてを説明してしまうと想像の余地がなくなってしまいますが、言葉を使わなかったこと、詳しい解説を加えなかったことにより、想像の幅が大きく拡がる終わり方となっています。
放送が終わった後に、視聴者の子どもたちが異星人のサボローさんに「想いを馳せる」こと。それこそが、今回の話におけるもっとも重要な狙いのひとつだったのではないでしょうか。
スタプリ34話の感想考察まとめ
- サボローには耳や口がない説
- 壁に描かれていたサボテンは14話の時点から描写されててすごい
- 壁に描かれていたサボテンを描いたのが子ども時代のえれなさんだったら尊い
- 天宮えれなは「分かり合える」と言わない
- サボローの気持ちは視聴者の「想像力」に委ねられる
前回のスタプリ33話の感想考察です。
トゥインクルイマジネーションとは何か? なぜひかるさんはフワに怒っていたのか? などについて考察しています。
なぜテンジョウ人の上に立ち、個性を嫌うのか? についての考察です。
異星人といえば私はドラムスくんも好きなんですよね。ノットレイダーでもないのにメンバーたちをプリキュアにさせたドラムスくんですが、「彼はドラ息子ではない」という考察をしています。
今回の34話は、スタプリのなかでも非常に「攻めていた」回だったと思います。全体的に明るく楽しい雰囲気を保ちながら、これだけ重量級のテーマを投げかけてくるスタプリには最大級の賛辞を贈りたい気持ちでいっぱいなのですが、いかんせん語彙力が追い付かないため、ここはえれなさんを真似たいと思います(ハートマークを作りつつ)。
以上、スター☆トゥインクルプリキュア34話の感想考察でした。
今回も前編後編で分けずに1つの記事でまとめています。
長々と読んでいただきありがとうございました。
補遺:『ミノタウロスの皿』について
ところで、今回の脚本について、スタプリのシリーズディレクター(東映アニメーションにおいて「監督」に近い役職)である宮元宏彰さんが、Twitterで『ミノタウロスの皿』がなければ今回の話はなかったという趣旨の発言をしていました。
ミノタウロスの皿とは、藤子・F・不二雄の書いた大人向けのSF漫画です。
とある惑星に不時着した主人公は、そこで美しい少女と出会うが、その星では牛型の知的生命体が人類を支配しており、彼女は「名誉ある」生け贄に選ばれていた...という話です。