金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

神アニメ・スター☆トゥインクルプリキュアをまとめて振り返りたい(中編)

 スタプリ、もう終わってから3週間が経つんですね。この3週間、スタプリのことを考えない日は1日たりともありませんでした。でも、ひかるさんなんて15年間ずっと会えるかどうか分からないララたちのことを想い続けていたんですよね…あ…だめだ…また泣いちゃう…。

 

 というわけで、寂しさを紛らせるべく、スタプリの26話から36話までを、ホットのカフェラテでも飲むような感じで振り返りたいと思います。(26話~49話まで一気に振り返ろうと思ってたんですが語りたいことが多すぎて無理でした)

 

 

 

26話:物語は後半戦へ

 26話は、スタプリという物語が後半戦へと移行する、ひとつのターニングポイントになっている話です。

 

 たとえば、OP映像に変化があったのも26話からです。ユニがプリキュアになったのは20話でしたが、OP映像にユニがプリキュアとして登場するのは26話からです。なぜそうなっていたかと言うと、ユニが真の意味でみんなの中に加わったのが、25話を終えたタイミングだったからです。

 

 それまでみんなと一定の距離を取っていたユニは、ノットレイダーとの戦いでも、自ら積極的にみんなと連携することはありませんでした。しかし、25話の夏祭り回を経たユニは、みんなとの見事な連携プレーで戦っています。

 

 では、なぜユニがみんなの仲間に加わるのに、これだけ時間がかかったのでしょうか? 言い方を変えれば、なぜこれだけ時間をかけなければならなかったのでしょうか?

 

 それは、ユニがもともと「ひとりで頑張ってきた子」だからです。

 ユニは惑星レインボーを救うために、ブルーキャットとなってレインボーの宝を取り戻したり、宇宙アイドルのマオになって歌ったり、バケニャーンになってスパイ活動をしたり、たった一人で奮闘し続けていました。

 

 もし、ユニがすぐにみんなと仲間になり、「今までは一人で頑張ってきたけど、みんなと一緒に協力する方が断然良いわね」と言ってしまったら、それまでのユニの頑張りがまるで価値のないようなものに映りかねません。一人で頑張るより、みんなで頑張る方が「優れている」という印象を与えかねませんし、多様な価値観が当たり前に存在する世界を描いてきたスタプリが、「AよりもBの価値観の方が優れている」という描写をしてしまっては、テーマとのあいだに齟齬が生まれてしまいます。

 

 たとえば、26話ではひかるさんがこのような発言をしています。

 

ひかる「わたしさ、友達と遊ぶよりひとりで天文台行ったりする方が楽しかったから。星座とか宇宙人とかUMAを調べてる方がさ。でも分かったんだ。ひとりでいるのも楽しいけど、みんなとこうしているのもすっごく楽しいんだって。みんなで新しい世界を知ったりとかさ、とっても、とーっても、キラやば~なんだよね!」

 

 ひとりでいることも楽しいけど、みんなでいるの「も」すごく楽しい。

 

 ひかるさんは、ひとりでいることよりもみんなでいることの「方が」楽しいとは言いませんし、優れているとも言いません。それと同様に、スタプリは一人で戦い続けてきたユニのことを否定したりはしませんし、みんなで協力する方が「絶対に優れている」とは決して言わないのです。

 

 また、26話でプリキュアたちの前に立ちはだかるのは、1話のときと同じカッパードさんであり、戦う場所も1話と同じ宇宙空間です。1話と26話の違いは、ひかるさんの周りに大切な仲間がいるか、いないかという点だけです。その意味においても、26話は物語が後半戦へと移るターニングポイントとして描かれていたと言えます。

 

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27話:世界の片隅でアイワーンは叫ぶ

 27話はちょっと特殊な回です。

 この回では、アイワーンちゃんの論理が鋭利な刃物のように光り、プリキュア側の論理に一筋の切れ込みを入れます。もちろん、これまでにもノットレイダー側の論理にハッとさせられる回はありましたが(10話など)、27話は特にそれが際立っています。27話では、あえて「100%の気持ちでプリキュアを応援しづらい展開」にすることで「ノットレイダー側の事情」を想像させる作りになっていたと言えるでしょう。

 

 アイワーンちゃんの論理と言うのは、もちろんこれです。

 

アイワーン「だから何だっつーの? 自分が何かされたら、人を騙したりしていいんだ? すっげぇなぁ!」

 

アイワーン「ふざけんなっつーの!」

 

 アイワーンちゃんはここで、自分の大切なものを守るために人の大切なものを奪ったユニの矛盾を鋭く指摘し、その「悪」に気付いてすらいないプリキュアたちの誤謬、すなわち「自覚の無さ」と「想像力の欠如」を痛烈に批判していたわけです。

 

 続くカットでは、ユニがアイワーンちゃんの言葉にハッとし、攻撃の手を止めてしまいます。それを目にした私たちは、いよいよアイワーンちゃんの「叫び」と、その裏に潜む「哀しみ」を無視することができなくなります。

 

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29~30話:惑星サマーンを見て「キラやば」だと言えましたか?

 私の大好きな回であり、視聴しながら幾度となく嗚咽し、嘔吐しそうになった回、それが29~30話の惑星サマーン編です。

 

 これは、鑑賞者の私たちが「試されていた回」だとも言えます。

 

 どういうことかというと、スタプリはこれまで、「見知らぬ異文化にも興味を持って近付いてみれば、きっとキラやば~っ☆なものがあるはずだよ」ということを物語を通じて私たちに語りかけていました。

 

 たとえば、異星人であるララは、一見すると石ころのような地球の食べ物・おにぎりを勇気を出して食べることでその美味しさに気付きましたし、サマーンにはない学校教育を通じて、知見を深めることもできました。

 ここで留意したいのは、ララだって、地球の「異文化」を知ったとき、すべてをすぐに受け入れられたわけではないということです。ララはララで、抵抗を覚えることがあっても、勇気を出して歩み寄っていたのです。

 

 さあ、では、私たち地球人はどうだったでしょうか?

 

 惑星サマーンの、一見するとディストピアのようにも感じる「異文化」に、歩み寄ろうと思えたでしょうか? 惑星サマーンの「素敵なところ」を見つけて、「キラやば~っ☆」と目を輝かせることはできたでしょうか?

 

 正直、けっこう難しかったと思うんです。

 

 私たちは、何度も、何度も、執拗なほど繰り返しクローズアップされるララの悲しい表情を目の当たりにして、惑星サマーンの文化に対してどうしても「否定的な態度」を取りたくなってしまいます。ほとんどをAI任せにして、ララの可能性を決めつけてしまう惑星サマーンの文化に対して、「それは違う」と言いたくなってしまいます。

 

 しかし、異文化の持っている素敵なところに目を向けず、頭ごしに否定するその態度は、スタプリが描いてきたテーマとは相反するものです。スタプリは、あえて「地球人にとっては共感することの難しい異文化」を見せることで、異文化の受容とはどういうことなのか、改めて考えるキッカケを作っていたのではないでしょうか。

 

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 ちなみに、29話が放送される直前には、「惑星サマーンではこんな展開があるかも…!」とウキウキしながらこんなひかララの二次創作を書いていました。百合です。

 

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 34話:分かり合えるとは限らない

 34話は一見すると明るくポップな回でしたが、その中身はかなりえげつないものでした。スタプリは後半(26~49話)に入ると、私たちの価値観を揺るがされるエピソード、すなわち27話、29~30話、34話のような話が明らかに増えてきます。

 

 この回はえれなさんが「分かり合うことの難しさ」を知る最初のエピソードでもあり、この回があったからこそ、続く39話、42話、43話のテンジョウさん回や、37話、40話、45話のカッパードさん回で描かれていたテーマが、より説得力のあるものになっていたとも言えます。その意味においても、34話はとても重要な意味を持つ回だったと思います。

 

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35話:ひかるの成長と変化 

  35話は、これまでにも何度も登場しては視聴者に強い印象を残してきた姫ノ城桜子さんにスポットライトが当てられるとともに、スタプリの主人公である星奈ひかるさんの成長が垣間見れるエピソードでした。

 

 35話で、ひかるさんはそれまで興味の範疇の外にあった「その人それぞれの持つ輝き」に気付きます。 ひかるさんの行動原理は「知りたい」という欲求によるものでしたが、それまでの彼女の「知りたい」は、宇宙や星座、UMAといった自分にとって興味のあるもの――すなわち、「自分だけの世界」で完結するものでした。

 

 しかし、35話分の経験を積み重ねることで、ひかるさんは「他」を知り、もっともっと「他」を知りたいと思うようになりました。それこそが、このエピソードで描かれていたひかるさんにとっての「成長」だったと言えます。

 

 ついでに言うと、35話では2年3組のカルノリ君も非常に重要な役回りをしています。姫ノ城さんにしてもそうですが、スタプリは本当にモブキャラクターの描き方が丁寧で、そういうところがまた大好きです。

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36話:彼女の名はブルーキャット(哀しみの怪盗)

 36話は久しぶりにブルーキャットが登場する回でしたが、この回もこの回で非常に示唆に富んだ回でした。

 

 まず、ユニの「盗み」に対して、ひかるさんたちは明確に反対します。

 ひかるさんたちは相手の価値観を否定することは基本的にありませんが、もちろん例外はあります。具体的に言うと、ひかるさんたちは「人の大切にしているものを奪うことを容認する価値観」に対してはしっかりと「NO」を突き付けており、このことはノットレイダーとの戦いの中で描かれていました(※1)

 

 さて、自分の価値観(盗み)を否定されたユニは、当然ながら怒ります。それなら一人で行くと言って、ユニはみんなのもとから離れようとしますが、ひかるさんはそれも止めます。「どっちニャン!」と再び怒るユニに対して、ひかるさんはこう言います。

 

ひかる「どっちもほんとの気持ちだよ。反対するのも、心配するのも。ユニは、ほんとにそれがいいって思ってるの?」

 

 ひかるさんは、ユニの考え方に反対しているものの、ユニのこと自体は大切にしていることがうかがえます。ここでスタプリは、「相手の価値観に反対する気持ちと、相手のことを大切に想う気持ちは同居できる」ことを示していたわけです。

 

 そしてスタプリが「うまい」のは、最終的な判断を「ユニ自身」に任せている点です。確かに、ひかるさんはユニの盗みを否定し、反対しますが、だからといって相手の考えを無理矢理に変えたり、攻撃的な言動を見せることはありません。ひかるさんは、あくまでもユニの自己決定を尊重して、ただ、こう問いかけるのです。

 

 あなたはどう想うの?

 

 それは、まどかさんがプリキュアになるキッカケとなった問いであり(5話)、自分を認めてもらうためにプリキュアのことを家族に話すべきか悩んでいるララに投げかけられた問いであり(29話)、後に笑顔の意義を見失ったえれなさんを立ち上がらせる問いです(43話)

 

 また、「あなたはどう想うの?」という問いは、「あなたのイマジネーションはどういうものなの?」「あなたのイマジネーションを教えて?」と言う問いでもあります。これは、カッパードさんとの和解(45話)、へびつかい座との決着(48話)でも用いられる問いです。スタプリは、最初から最後まで、一貫して、そう問い続けた物語だったとも言えるでしょう。

 

 ところで、ここで登場する惑星レインボーの指輪は本当に素晴らしいアイテムでした。青色は哀しみを表す色です。復讐ではなく、救いを求め、たったひとりで頑張り続けてきたブルーキャットは、「哀しみの怪盗」だったのです。

 

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※1 ユニの盗みを否定するひかるさんに対して、「価値観が多様であることを容認するならば、人の大切にしているものを奪うことを容認する価値観も容認すべきだ」という反論もできなくはないかもしれません。これについて、1945年、哲学者カール・ポパーは「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」という「寛容のパラドクス」を提唱しています。(wikiの孫引きですみません)

「寛容のパラドックス」についてはあまり知られていない。無制限の寛容は確実に寛容の消失を導く。もし我々が不寛容な人々に対しても無制限の寛容を広げるならば、もし我々に不寛容の脅威から寛容な社会を守る覚悟ができていなければ、寛容な人々は滅ぼされ、その寛容も彼らとともに滅ぼされる。

孫引き:寛容のパラドックス - Wikipedia

出典:『開かれた社会とその敵』第1巻 第7章 カール・ポパー著

 

後編へ続く

 前編後編で分けようとしていたのに、語りたいことがありすぎて中編になってしまいました。後編では37話~49話までを振り返りたいと思います。

 

  スタプリ1話~25話までの振り返りです。

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 オリーフィオたちレインボー星人の生態系についての考察です。半分はネタですが、もう半分は真面目…なはずです。

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 アイワーンちゃんについて熱く語っています。

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