金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

【スタプリSS】『十五光年と十五ミリ(後編)』※ひかララ前提大人ひかまど

十五光年と十五ミリ

 十五年間ひかるさんに恋心を寄せ続けたまどかさんが、30歳で失恋する話です。

 

(ひかララ前提大人ひかまど/百合/GL/前・中・後編を含めて5万字程度)

 

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【2035年1月22日月曜日(残り6日)】


「それで、話とは何かね」 


 職場に泊まりこみで仕事をしていたまどかは、早朝に出勤してきた局長を見つけると、すぐさま直談判しに行った。局長を説得して、ロケットを速やかに再打ち上げさせるためである。


「今回のプロジェクトのお話です」
「君が持ってきたこの資料を見れば、それくらいのことは分かる」


 局長はデスクに資料を置くと、深いため息をつく。まどかの方は見向きもしない。


「君は遊んでいるのかね」
「いいえ。そのつもりは毛頭ありません」
「では聞かせろ。私が君に命令したことは何だね」
「次回に行われる会議の資料の準備です。それを今日、作成して持って参りました」
「そうではない。私が作れと命じたのは『今回のプロジェクトを中止し、改めて計画を立案するための資料』だ。しかし君の持ってきたこの資料は何だ? 私の目が節穴でなければ、これは『今回の打ち上げを決行するための資料』に見えるが?」
「局長の目は間違っていません」
「ならば、間違っているのは君の耳か」
「わたくしの健康診断の結果はオールAです」


 執務室は異様なほど静かだった。離れたところから部下たちも固唾を飲んでまどかたちの動向を見守っていた。


「黙って命令に従え」
「プロジェクトを継続させてください」
「あくまでも命令には従わないと?」
「内容によります」


 局長の形相にはもはや隠すつもりもない憤怒の念が込められている。


「……戒告、または減給。職務命令違反は懲戒処分の対象であることを知らぬ君ではあるまいな、香久矢。一度でも経歴に傷を負った者は、昇進とは無縁の道を歩むことになることも」
「もちろん存じております。ですが、局長」


 まどかは目を逸らすことなく続ける。


「わたくしが、勝算もないのにこのような提案をする人間だとお考えですか?」
「……何が言いたい」


 まどかは幼い頃、オークション会場で父親から授かったことを思い出していた。
 どんなに追い詰められていたとしても、いや、追い詰められているからこそ、余裕の笑みを見せつける。そうすれば、自ずと流れを掴むことができる。


 事実、局長は微笑むまどかを見て、たじろぎこそしないものの何やら異変を感じ取ったようだ。思案したかと思うと、やがて静かな口調でこう言った。


「……ああ、そうか。君の父親は総理だったな」


 局長はその可能性に気付いたようだ。
 確かにまどかにとっての上司は局長だが、局長の上には総理大臣である冬貴がいる。まどかが局長の命令に従わなければならないのであれば、局長は冬貴の命令には背けない。
 局長の視線がまどかの目を射抜くが、当のまどかは依然として不敵な笑みを崩さない。
 そして、ついに根負けしたのは、局長だった。


「……なるほどな。君は総理と話をして、プロジェクトを継続するよう根回しを済ませているわけか」
「もしそうだとすれば、局長はどうしますか?」
「どうするも何も、総理からの命令とあれば、従わざるを得んだろう」


 局長がつまらなさそうに言い捨てる。
 説得に成功した。
 少なくとも遠目に様子をうかがっていた部下たちはそう胸を撫でおろしたが、まどかはまだその場から動かずに頭を下げた。


「違うんです、局長。これは総理の命令ではありません」
「……何?」
「わたくしはお父様と、そのようなお話はしていません」


 予想外の返答に、局長は呆気に取られる。
 それは事実だ。
 昨夜まどかは確かに冬貴と電話で話をしたが、冬貴はまどかの体調を心配してかけてきただけに過ぎなかったし、そもそも公務員になってからというものの冬貴とプライベートで仕事の話をすることはほとんどなかった。意図の有無にかかわらず、父親から贔屓を受けることをまどかは頑として拒んでいた。


 自分の未来は自分で決める。
 十五年間、どれだけ迷うことがあっても、それだけは愚直に守り続けてきたのだ。


『お父さま。わたくしは明日、上司の命令に反して処分されるかもしれません。そうなれば由緒正しき香久矢家に泥を塗ることになりますが、ご了承ください』


 電話を終える間際にまどかはそう言ったが、冬貴の返答はごく短かいものだった。


『好きにしなさい』


 電話を切って事の次第を報告した冬貴は、満佳から『子は親に似ると言いますからね』と笑われたのだが、これはまどかがあずかり知るところではない。


「……なぜだ」


 局長はまどかに問いかける。


「父親の権力を使えば、私をうなずかせるのも容易だろう。ましてや君の父親は宇宙開発を推進している立場だ。反対するとも思えん。なのに、なぜそうしなかった」
「話し合いたかったからです」


 まどかは局長の瞳を見つめながら言った。


「局長の考えを知りたかったからです。そのうえで、話し合いたかったからです」
「……君は本当に愚かだな」
「愚かかもしれませんが、愚直でありたいと思っています」


 局長はまどかを見つめると、おもむろにかけていた眼鏡を横に置いた。


「……そこまで言うのなら、無論、おおよその目安はついているのだろうな?」


 まどかはここぞとばかりに資料を広げて局長に見せる。


「確かに局長の仰る通り、現時点では火災の原因は不明です。発生した場所もロケット本体ではなく、厳しい防火対策を取っていたはずの鋼鉄製の発射台と、謎が多いのは事実です」


 局長は相槌を打つこともしないが、まどかは気にせず続けた。


「ただ、火の気のないところから火災が発生した場合、考えられることは二つです。一つは、人の手によるもの。二つは、自然発火」


 まどかは指を折り曲げていく。


「一つ目の可能性は薄いです。セキュリティは厳重ですし、監視カメラにも特に不審な点は見られません。それに、現場にも異変はありませんでした。そうすると考えられるのは二つ目ですが、可能性として考えられるのは静電気です」
「静電気が原因で、あの火災が起きたと?」
「はい。こちらが科学班からの報告をまとめた資料です。ロケットの発射台は鋼鉄製で、表面を断熱材と耐熱材で覆っています。たとえばエンジン冷却などに使っている液体酸素がこの部分に垂れて、静電気が発生すれば、原理上、火災が発生するということはあり得ます」


 局長は疑惑の目を向けたままだ。


「高濃度の酸素と静電気による火災。これを防ぐのは簡単です。鋼材に帯電防止のアルミシートを施せば済みます。予定よりは遅れてしまいますが、対策は容易に可能です。いま、この仮説の真偽について、科学班が調査をしてくれています。確かに予定していた期間は越えてしまうかもしれませんが、結果は数日もあれば判明します」
「……それで?」
「だから、プロジェクトの継続とそれに伴う日程の再調整をさせてください。お願いします」


 局長は数刻ほど間を置いてから尋ねる。


「……最悪な結末は、本番で事故が起きることだ。私が危惧しているのはそこだ。これだけトラブルが続いている状況では、何かあったときに確実に責任問題になる。そして、その責任を負うのは私だ。言いたいことは分かるな?」
「承知しています。そして、局長が責任逃れのためだけにプロジェクトを中止するような方ではないということも」
「……何を、知ったようなことを」
「局長は、何よりもまず、事故によって宇宙飛行士たちの命が散ることを危惧されているのですよね? 間違っていますか?」
「…………」

 
 前々から思っていたことだが、局長は父親に似ているところがある。一見すると冷たい雰囲気をまとっているが、その根底には人情がある。そして何より、都合の悪い質問には沈黙して答えないところはそっくりだった。


「……では訊くが、もし打ち上げに失敗したら、君はどうするつもりだ? ロケットが鉄くずとなり、搭乗していた宇宙飛行士たちもろとも灰塵に帰するようなことがあれば――」
「後を追います」


 まどかは一切の躊躇もなく答えた。
 その声と表情は至って真剣そのものであり、いかなる諧謔的なニュアンスも読み取れない。
 ゆえに、局長はまどかと向き合うことを余儀なくされる。


「……その約束には何の意味もない。君が死んだところで何の解決にもならない」
「承知しています。これは単なる意思表明、わたくしの覚悟の証……それ以上の意味はありません」
「いったい何が君をそこまでさせる」
「わたくしには夢があります」


 まどかは凛然と答える。


「その夢を叶えるためには、ロケットを打ち上げる必要があるのです」
「……つまり、君はこう言いたいわけだな。宇宙開発を進める君の動機は、極めて個人的かつ身勝手なものに過ぎないと」
「その通りです」


 しばしの沈黙が訪れる中、まどかは厳しい叱責が飛んでくるのを覚悟した。
 公務員とは『全体の奉仕者』であり、常に国民のことを考えて職務を遂行しなければならない立場の者だ。誰よりもそれを理解したうえで昇進を重ねてきた局長にとっては、言語道断、許されざる考えとして映るだろう。


 だが、まどかの予想は裏切られた。


「……全体の奉仕者たる国家公務員が、己の欲に沿って公務を行うことを公然と述べる。しかもそれが、総理の娘ときた」


 目踏みするような視線を向けていたかと思うと、局長はくつくつと笑い出した。その笑い声は次第に大きくなり、フロアにいたほとんどの職員の視線を集めるほどになった。
 やがて哄笑が止まり、局長は言った。


「……香久矢。この資料は使い物にならん。書き直しを命じる」


 慌てて食い下がろうとすると、局長が制止した。


「誤字脱字が三カ所ある。それを直したうえで提出したまえ。以上だ」


 一瞬、まどかは何を言われたのかよく分からなかった。
 数秒ほど遅れて言葉の真意を理解すると、まどかは勢いよく頭を下げた。面を上げろと命じられても、まどかはその指示を拒み、長い時間、深々とお辞儀をしつづけた。


 ☆


「……やれやれ」


 誰もいない夜中の喫煙所。煙草をくゆらせながらため息をつくと、煙は寒風に吹かれて消えた。
 官公庁は全面的に禁煙であるため、煙草一本を吸うためだけにいちいち外まで出なければならない。それも時代の流れなのだとは理解しているが、面倒であることには変わりない。
 が、局長が嘆息している理由は何もそのことではなかった。


「まったく……誰に似たのかね……」


 上司だろうと臆面もなく挑みかかってくるあの熱い眼差しを思い出しながら、彼女は再び紫煙を吐く。
 脳裏にはひとりの男の姿が浮かんでいた。かつての同僚であり、十数年前までいま彼女のいるポジションに座りながら、突然国会議員へと転身して前代未聞のスピードで総理大臣にまで上り詰めた男の姿が。


「とんでもない置き土産だぞ、冬貴」


 彼女の声は苦りきったものだったが、その口元には満更でもない微笑が浮かんでいた。

 


 科学班から火災の原因が判明したという知らせが届いたのは、その翌日のことである。

 

 

【2035年1月28日日曜日(残り0日)】


「やっと……ひかるの夢が叶うのですね。宇宙に、また行くという夢が」
「うん」
「よく休めましたか?」
「ばっちり。久しぶりに、ララやみんなの夢を見てさ。プリキュアになって、フワもいて、良い夢だった」


 ロケットの発射を目前にして、まどかは控室でひかると話していた。部屋には二人以外には誰もいない。二人にとってはこれが出発前に直接話せる最後の機会だった。


「その絵……ひかるが昔に描いたものですね」


 ひかるが開いているのはトゥインクルブックだ。そこにはひかるのコミカルな絵柄で自分たち五人とフワとプルンス、そしてAIが描かれている。


「そうそう。懐かしいよね~。あ、もうちょっとめくればこんなのもあるよ……ほら、ひかまど座!」
「そっ、それは恥ずかしいので見せないでください……」
「えへへ~」


 まどかはみんなが描かれている元のページに戻すと、ひかるの了承を得てからスマートフォンで撮影した。あとでえれなにも送ろうと考えてのことだ。


「ここまで来れたのは、まどかさんのおかげだね」


 ひかるはこれまでの苦難を思い返すようにしみじみと言う。
 火災の原因はまどかが予測していた通りのものだった。


「いえいえ。わたくしは内部調整をしたまでです。原因を見つけられたのも、適切な対策を講じられたのも、すべては現場の方々のおかげです。それに、まだプロジェクトは終わっていません。始まってもいません。油断大敵です」


 そう、本番はこれからだ。
 数時間後には、ひかるの体は宇宙へと発つ。
 そこで事故が起きれば、宇宙飛行士の命はない。


「……あの、まどかさん」


 だからひかるが手紙を出したときも、まどかは何ひとつ違和感を覚えなかった。


「わたしもちゃんと地球に戻ってきたいって思ってるし、ロケットの安全性を疑ってるわけじゃないけど……でも、やっぱり、宇宙では何が起きるか分からないから。だから……万が一最期になってもいいように、手紙を渡しておきたくって」

 

 手紙といえば聞こえはいいが、いわば遺書である。
 ひかるが死ぬ。そんな未来は信じたくないが、宇宙に行く以上ぜったいに大丈夫だという保証はない。長年プロジェクトに携わり続けてきたからこそ、まどかはその可能性がゼロだと妄信することはできない。


「事前に渡すかどうかは悩んだんだけど……ほら、こういうのを渡しちゃうと、どうしても万が一のことを想像させて、必要以上の心配をさせちゃうし。だけどまどかさんなら、そのあたりもよく理解してるはずだと思って」


 確かに一般的な人からしてみればぎょっとしてしまうかもしれない。だがひかるの言う通り、まどかは宇宙飛行のリスクについて正確に理解している。ゆえに余計な気苦労を背負うことはなかった。


 ただひとつだけ、それとは別の文脈で気になることがあった。


「あの……手紙を書いたのは、わたくしだけですか?」
「ううん。まどかさんだけじゃなくて、えれなさんとか、これまでお世話になった大切な人たちみんなに宛てて書いたよ」


 ひかるにとっての大切な人たち。その中に自分が含まれていることは嬉しいが、ひかるにとって自分は大切な人たちのうちのひとりでしかないことをまどかは改めて認識する。ひかるにとっての『いちばん』は、ひかるにとっての『特別』は、やはりララだけが享受できるものだ。


 少し前のまどかであればその事実を受け入れられなかったかもしれない。
 しかしいまのまどかはそうではない。全身を傷だらけにしながら一寸の光も見えない暗闇を進み続けてきたまどかは、存在しない光を求めることをやめて、これからは別の道を歩むことを決意している。
 だからもう、”自分が特別ではないという事実”を見せられても平気だった。


 まどかは手紙を受け取りながら、ニッコリと微笑み返した。


「地球でっていますね。ひかるが、ずっと目指してきたいちばん星に届くことを」


 すると、ひかるはきょとんとした顔で首を傾げる。


「? それって……?」
「あ、いえ……。昔、二人でいちばん星の話をしていましたよね。夜に空を見上げたとき、真っ先に探してしまう星。ひかるにとってのいちばん星は、惑星サマーンだと思ったのですが……」


 ひかるは「うーん」と複雑そうな笑みを浮かべると、こう説明した。


「サマーンは、いちばん星ってわけじゃないかな……。確かに大好きな人が住んでる大好きな星だし、心の中ではいつも描いているけど、実際に観測できるわけじゃないからさ」
「そ、そうなのですか」


 では、ひかるにとってのいちばん星は何なのだろう。
 疑問に思ったものの、出発の時間が近付いていた。


「そろそろ、ですね」
「だね」
「おしゃべりの続きは、また地球でしましょう」
「うん」
「約束ですよ」
「……うん」


 退出を促すと、ひかるはうなずいて部屋を後にしようとする。


「――あ。そう言えば、まどかさん」


 ドアノブに手をかけたとき、ひかるはそこで足を止めた。


「この前言ってたよね。自分とはキスしてくれないのかって」
「いっ、言いましたけど……」


 どうしていまその話を?
 言葉の意図を読み取れずにいると、ひかるはくるっと踵を返して、立てた人差し指を自分の口元に当てた。


「まどかさん、わたしと同じポーズしてみて?」
「こ、こうですか……?」


 言われた通り口元に人差し指を当てる。いわゆる内緒のポーズだ。


「何をする気ですか……?」
「いいからいいから。そのまま動かないでね。あ、ついでに目もつむってもらってもいい?」


 ひかるが何を考えているのかは分からなかったが、別にいまに限った話ではない。ひかるはよく突拍子もないことをする。よく分からないことに付き合うのはこの十五年間で慣れっこになっていた。


 目を閉じると、ゆっくりと地面を擦る音が近付いてきた。
 どうやらひかるがこっちに向かっているらしい。
 すぐ目の前で足音が止まる。
 かなり近くに来ているらしい。


 ひかるは何をするつもりなのだろう?
 焦らしているつもりなのか。
 何かを躊躇しているのか。
 なかなか行動を起こさない。


 もう時間がありませんよと言いかけた、そのときだ。


 不意に、まどかの人差し指に、温かく柔らかなものが押し当てられる。
 唇、だった。


「――――っ」


 二人の唇を隔てるのは人差し指一本分の横幅のみ。
 距離にして、十五ミリ。
 それは、まどかが十五年間でもっとも近く、ひかるを感じた瞬間だった。


「目をつぶっててって、言ったのに」


 温かな吐息がまどかの顔を撫でる。
 ひかるは悪戯っぽく笑うと、今度はまどかの唇に人差し指を当てた。


「……ララには、内緒だよ?」


 部屋にはひかるとまどかの二人しかいないし、壁の防音もしっかりしている。本来であれば小声になる必要はない。だがこの世界はひとつの宇宙で繋がっている。もしかすると聞かれているかもしれない。


 だからまどかは囁くような声で返事をした。
 遥か遠くで、きっとひかるを探している宇宙人に聞かれてしまわないように。


「……ええ。ふたりだけの、秘密です」


 ☆ 


 まどかは外に出て打ち上げ直前のロケットを見つめていた。
 いまの自分にできることはない。やれることはすべてやった。あとは自分を信じて、ひかるを信じるだけだ。

 

 ひかるの吐息。人差し指に感じた唇の感触。

 先ほどの動揺はまだ鎮まっていなかったが、これから先、ひかるとの距離があれより近付くことは決してないことを理解したまどかの心には、ある種の清々しさが芽生えはじめていた。


 まどかは手元に視線を落とす。その手に握られているのは出発前にひかるから受け取った手紙だ。まだ中身は読んでいない。いつ読むべきなのか分からず、そのままにしていた。


 ロケット発射までの時間が刻一刻と近付いている。が、まだ多少の時間はある。
 まどかはスマートフォンを取り出すと、地球上でもっとも信頼している友人のひとり――アメリカ合衆国の大統領のスピーチ翻訳を終えたえれなに、お疲れ様のメッセージを送る。返信はすぐに来た。


『ありがとう! なんとかなってほっとしてる』


 えれなは既に自分の夢を叶えている。そしてこれからはもっともっと輝く未来を歩んでいくのだろう。友達として誇らしいし、嬉しいと思った。


『ひかるから懐かしい絵が』


 せっかくなのでさっき撮影した昔の絵を送ってみる。


『わ~~! 懐かしいね』


 画面の向こう側で太陽のような笑顔を浮かべているところが想像できる。まどかも自然と笑みを漏らしながら、何の気なしにその話題を出してみる。


『ひかるからのお手紙は読みましたか?』


 大切な人たちに宛てて書いたと言っていた手紙。当然ながらえれなもそのうちひとりに入っているだろうと考えていた。
 が、返ってきたメッセージにまどかは目を見開いた。


『? 何のこと?』


 まさかえれなはひかるにとって大切な人ではなかった……?
 いや、そんなはずはないと首を横に振る。えれなはしばらく日本を離れて留学していたとはいえ、小まめに連絡も取りあっていたし大切な友達であることには変わりないはずだ。
 表向きに仲良くしていただけで、心の底では信頼していなかった……?
 それもない。あり得ない。まどかは断言できる。何事にも真っすぐなあのひかるがそういう振る舞いをするはずがない。


 そう、ひかるが嘘を吐くはずがない。
 まどかはメッセージを返しながら思考を巡らせる。


『あ、手紙はね、まどかさんだけに書いたんじゃないんだよ? 大切な人たちみんなに宛てて書いてるから……』


 ひかるはそう言ったのであればそれは間違いなく事実だ。ひかるはそういうところで嘘を吐く人ではない。そしてその大切な人たちの中には当然えれなたちも含まれている。


『どうしても万が一のことを想像させて、必要以上の心配をさせちゃうし』
『だけどまどかさんなら、そのあたりもよく理解してるはずだと思って』


 まどかは職業柄、この手紙が遺書になり得ることを正確に理解している。逆にいえば、まどか以外の人にとってはそうではないともいえる。『必要以上の心配』をさせてしまうことは、ひかるの本位ではなかったのだろう。


「……そういう、ことですか」


 ひかるの言っていたことがすべて本当だと考えれば、真実はひとつしかない。


「……ひかるはみんなの分の手紙を書いたうえで、”わたくしだけに渡した”のですね」


 おそらく他のみんなに宛てて書いた手紙は渡さずに保管しているのだろう。万が一、事故が起きた際には、遺された手紙がそれぞれの手に渡るよう準備しておきながら。
 おそるおそる開封すると、まどかの考えを裏付ける内容が書かれていた。


『もしわたしに何かあったときには、わたしの部屋の机の引き出しに入っている遺書をみんなに渡してください。まどかさんへの遺書もそこに入っています』


「ひかる……」


 まどかは唇を噛みしめる。
 重要な役回りとして自分を選んでくれたことが嬉しかったが、それ以上感慨にふけるのもよくない。まどかは最後の意地で、込み上げてくる感情を奥へ奥へと押し込んだ。


「…………ふぅ」


 深呼吸をして息を整える。下手に心臓をえぐるような内容が書かれていなくてよかったと安堵する。


 とりあえずいまはロケットが無事に飛ぶことを祈ろう。
 何となく封筒を空に掲げたとき、まどかはそれに気付いた。


 もう一枚、小さめの便せんが入っていた。
 他にも何かメッセージがあったのだろうか。
 取り出してみると、そこにはこう書かれていた。


『わたしにとってのいちばん星は、    だよ』


 文字のあいだの空白にはキラキラと輝く丸い形のシールが貼られている。
 星の名前を隠しているのだろうか。まどかはそう思って、便せんを破いてしまわないように慎重にシールを剥がしていく。


「……?」


 果たして、そこには何も書かれていなかった。
 どういうことだろう? ひかるは星の名前を書くのを忘れてしまったのだろうか?


 否、そうではない。
 まどかはもう気付きかけている。ただ、いよいよ堪えていたものを我慢できなくなるからと、気付かない振りをしているだけに過ぎない。


「…………」


 ひかるにとってのいちばん星。
 闇夜の空を見上げたときに、真っ先に見つける星の名前。


 一度は剥がした”満月のシール”を元の場所に貼り直したとき、まどかは今度こそはっきりと理解した。


 遠くの方からアナウンスが聞こえる。
 ロケット発射のカウントダウンは、まどかの嗚咽と同時に始まった。


『10』
 酷いです、とまどかはつぶやいた。


『9』
 ひかるは、身勝手すぎます。


『8』 
 なぜこんな仕打ちばかりするのですか。


『7』

 心はいつもララと共にあるくせに。


『6』
 本当に欲しいものはくれないくせに。


『5』
 ずっと欲しかったものをくれる。


『4』 
 最後なので言わせてもらいますけど。 


『3』
 わたくしはそんなひかるのことが。


『2』
 心の底から。

 


『1』
 大好きでした。

 


 ロケットは音速を越えるスピードで飛んで行く。みるみるうちに地球から離れていくロケットを見上げ、まどかは叫んだ。恥も外聞も捨て、誰かに見られているかもしれないという可能性も捨て置き、止めどなく流れる涙を拭うこともせず、その胸に抱いていたすべての想いと祈りを吐き出した。


 後部から噴射される爆炎と白煙のせいで、まどかの立つ位置からロケットの本体はよく見えない。無事にロケットが大気圏を突き抜けたことを知ったのは、澄み渡る空に轟音が溶け込み、その一切が聞こえなくなってからのことだ。


 数分後、幼い子どものように地面にうずくまって号泣しているまどかを部下たちが見つけた。部下たちはまどかが打ち上げの成功に感涙しているのだと最後まで勘違いしていたが、それも無理はないだろう。まどかの涙の真意を正確に知るのはこの地球上でただひとりしかおらず、その人物はいまや宇宙へと旅立ってしまっていたのだから。


 ロケットの残していった白い雲はしばらく消えることなく空に浮かびながら、地球に残るまどかを温かく見守っていた。

 

 

【エピローグ】


「局長。終業後にすみません、今度の祝賀会参加の最終確認ですが……」
「不参加で頼む」
「課長や部長も参加されるようですが……」
「返事は変わらん。そもそもそんな時間的余裕もないのは君がいちばん理解しているはずだが」


 深夜の執務室。
 他の職員はすでに全員帰宅しており、今日もまどかと局長だけが残っている。


「承知しました」


 まどかは苦笑しながらメモに『×』を記す。
 局長の飲み会嫌いは有名だ。いままで一度も参加しているところを見た覚えはないし、他の職員からもそういう話を聞いたことがない。今回くらいはもう少し歓迎ムードに流されてもいいとも思ったが、まどかは局長を忙殺している原因が他でもない自分にあることを知っているため、それ以上強くは誘えなかった。


「持っていけ」


 突然差し出されたのは、財布から無造作に引き抜かれた数枚の紙幣だった。


「これは……?」
「カンパだ。祝賀会で使うといい」
「い、いえっ……! さすがにこんなには……」
「不要なら異星人にでも渡してやればいい」


 冗談とも本気とも判別しがたい言い方。異星人という言葉に、まどかの胸がドキリと跳ねる。
 日本初の国産有人ロケット計画は無事成功に終わった。日本の有人ロケットの性能を世界に知らしめると同時に、宇宙開発研究にも多大なる寄与をもたらした。
 が、いちばんの成果はそれではない。


「……星奈宇宙飛行士。型破りな人間だという話は聞いていたが、まさか地球外知的生命体を発見するとはな」


 羽衣ララとの再会。
 表向きは『流れ星』ということで穏便に処理されたが、アメリカと中国の目は誤魔化せなかった。水面下では既に高度な国家間交渉が繰り広げられており、そのテーブルに着いているのが局長や総理大臣であるまどかの父たちだ。いまはまだうまく隠蔽されているものの、宇宙人の存在が公となるのも時間の問題であった。


「まったく、大変なことをしたものだ……。彼女もメディアの露出が多いし、いつ秘密を漏らすか分かったものではない」
「でも、ひか……星奈宇宙飛行士は、肝心なところは外さない人ですので」
「まあ、確かにインタビューの内容は悪くないものだったな」


 記者から宇宙飛行の感想を求められたとき、ひかるは煌めくような笑顔でこう答えた。


『夢が叶いました』


 シンプルだが、それゆえに多くの国民の胸を打つ回答だった。
 モデルのような端麗な容姿と個性的なキャラクター、そして『キラやば~☆』という独特な口癖も相まって、ひかるはいまでは国民的なスターとして各メディアから引っ張りだこになっている。


「君はもう帰るのか」
「はい。局長はまだ残られますか?」
「愚問はよせ」
「……ですよね。すみません」


 まどかは自席に戻る。時刻は夜の十時。約束の時間はとっくに過ぎているので、詫びの連絡を入れておく。
 帰り際に改めて挨拶したとき、局長から呼び止められた。


「少しいいか」
「はい。なんでしょう」
「もし打ち上げが失敗し、宇宙飛行士が事故死するような事態となれば、君は『後を追う』と言っていたな。あれは本当か」
「……心配されていたのですか?」
「部下を自殺に追い込んだ上司がいかなる処分と社会的制裁を受けることになるか、聡明な君なら想像は容易いはずだが」


 回りくどい言い方をしているが、要するに心配していたということだ。こういう気遣いが分かりにくいところも父親と似ているなと改めてまどかは思う。


「冗談に決まっているじゃないですか」


 まどかは笑いながら答えた。


「本当だな」
「もちろんです」


 局長は半信半疑の様子だったが、最終的には留飲を下げた。


「もうひとつ。宇宙人の存在が公となり、異星間交流が現実のものとなれば、未知なる存在と出会うことで地球は大きく変わるだろう。その先に待つ未来が素晴らしい世界になると、君は思うか?」


 まどかは未来を断言できるような預言者ではなかったし、未来は必ず明るいはずと無邪気に妄信できるほど幼くもない。そして適当な回答をすれば局長に簡単に見抜かれるだろうという確信があった。
 だからまどかは自身の想いを正直に語った。


「わたくしには分かりません。……ですが、その世界はきっと『キラやば』なものになると、わたくしは信じています」


 ついひかるの口癖を真似てしまったものの、局長も散々テレビなどで見聞きしているのだろう。局長も疑問を挟むことはなかった。


「下がっていいぞ、香久矢」


 局長は相変わらずポーカーフェイスを崩さなかったため、その回答に満足したのかは定かではない。が、まどかはその表情に以前とは異なる色を感じ取った。


「……あの、局長」


 だから、なのだろうか。
 気が付けばこんな誘いを口にしていた。


「いろいろ落ち着いたら、今度サシで飲みに行きませんか。日本酒の美味しいお店を知っているんです」


 局長は虚を突かれたような顔をする。
 まさかサシで誘われるとは思ってもいなかったのだろう。決して短くない思案を経て答えた。


「……いや、やめておこう」


 やっぱりダメか。想定内といえば想定内だったが、続く局長の言葉はまどかにとって想定外だった。


「私は酒が飲めないんだ」
「……え?」
「二度は言わせるな」


 気まずさを感じているのか、局長は普段より早口気味になっている。耳がやや赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
 思わずくすっと笑みをこぼして、冗談まじりに尋ねる。


「では、スイーツビュッフェなどはいかがでしょう?」
「馬鹿にしているな? ビュッフェで元を取れる年齢はとうに過ぎている」
「なるほど。昔は元を取れるくらい召し上がっていたのですね?」
「…………」
「局長が甘党だったとは意外でした」
「命令する。帰れ。いますぐに」
「局長の命令とあらば、従わないわけにはいきませんね」


 まどかはなおもくすくす笑い続けたが、局長も本気で咎めることはなかった。


 ☆


 職場を出たまどかが最初にしたのは約束の相手に電話をかけることだった。仕事で遅くなると伝えていたとはいえ、想定よりも一時間は遅くなってしまっている。


 電話をかけたが繋がらなかった。メッセージを送ろうとしたが、冬空の下では手がかじかんでスマートフォンをうまく操作できない。一度温めようとと息を吹きかけていると、静寂をかき消す排気音とともに目の前に一台の中型バイクが止まった。


 バイクに乗っている人物がオレンジ色の派手なヘルメットを外し、前髪を払ったとき、まどかは「あっ」と声を漏らす。


「久しぶりだね、まどか」
「……えれな」


 ロケットが打ち上げられてからしばらく、えれなとは直接会うことはできなかった。もともと会おうという話はしていたものの、ララたちの登場によってまどか自身の仕事も輪にかけて多忙となり、そうした時間がなかなかつくれなかったためだ。


「あれ、バイクなんて持っていましたっけ?」
「まどかを迎えに来るために買ってきたんだ」
「まあ! 王子様ですね!」


 大袈裟に驚いて見せると、えれなは参ったなと頭をかく。


「まどか、ぜんぜん信じてないでしょ?」
「ふふっ。わたくしももう三十ですよ? 都合の良い夢は見なくなりましたので」


 顔を見合いながら笑うと、二つの白い息が交わった。そうして相手の冗談を即座に理解し合えるのは、長年に渡る友好の証左でもある。ひかるとの距離が殊更に近かったのは事実だが、えれなも十五年間連絡を取り続けていた大切な友達であることには違いなかった。


「これね、レンタルバイクなんだ。しかもしかも完全自動運転機能付き! 合法的に飲酒ツーリングができるんだよ~?」
「え……? 何ですかそれ最高すぎませんか……?」
「でしょでしょ~。それじゃあハシゴ酒の旅、レッツゴー!」


 渡されたヘルメットを被ってインカムをつける。これをつけていれば二人乗りで走行しながらも会話ができるようだ。後部座席にまたがっているあいだにえれなは仮想パネルで目的地を設定する。間もなく、無機質な音声案内と同時にバイクが勝手に発進した。


「こうやってふたりだけで飲みに行くのもずいぶん久しぶりだね~」
「そうですね。お互い、いろいろと多忙でしたし」


 インカムを通じた会話は時折ノイズが混じるものの概ね良好だった。
 風を切りながら進むのが気持ちいい。夜の空気は冷たかったが、前方に座っているえれなの腰に寄り添うと暖かい。


「まどかもさ、いろいろと積もる話もあるんじゃないの?」
「わたくしですか? ま、まあ……ないわけではないですが」


 ひかるのことを思い浮かべるが、口にはしなかった。えれなには適切なタイミングで明かそうと思っていた。たとえばそう、お酒を飲んでいるときとかに。


「あ、そういえば……けっこう前に、お父さまからお見合いの話を受けまして」
「ええっ! ちょっと何それ知らない! 承諾しちゃったの!?」
「いいえ。殿方に興味はありませんとキッパリ答えました」

「おー、そっかそっか……」


 ひかるには以前に話していたが、えれなに話すのはこれが初めてだったなと思い返す。

「でも聞いてくださいよ。つい先日、またお見合いの話を出されたんです。お父さまは何も懲りてない、そう思って候補者の写真を見てみたらですね……全員、お相手が女性だったんです」
「……まどかのパパって、ほんとまどかのこと大好きだよね」


 あはは、と安堵の含んだ笑い声が聞こえる。


「ただのお節介ですよ。まあ、お母さまにはそういう話もしていたので、お母さま経由でいろいろ聞いたのでしょうけど。それにしたって、もう少しやり方があると思いません?」
「オーケー。その話、お酒の席で聞かせてもらうよ」


 信号が赤になり、バイクは自動的に停止した。
 束の間の小休止。


「えれなは何かあるんですか? そういう話は」
「あたし? あたしは、まあ……何も進展なしって感じかな」
「え、何ですかその意味深な感じ?」
「それは……」


 えれなが何か言おうとしたとき、信号が青になり、再びエンジンが音を立てた。


「ごめんなさい、いま何か言いましたか?」
「……何でもない。またそのうち話すよ。できるだけ、近いうちにね」


 えれなは意味ありげにつぶやく。


「とりあえず観星町の方に走ってるんだけど、行きたいお店とかある?」
「そうですね……。今日はとにかく、酔っ払いたい気分です」
「じゃあ、テキーラはどう? 観星町商店街に新しくできたお店なんだけどさ、そこなら世界中のビールも置いてるよ」
「決まりですね!」


 しばらく走行をつづけて、観星町商店街へと続く橋を渡っていく。観星町は近年再開発も進み、十五年前と比べると町並みも変わっている。だが形は変わっても根底にあるものは変わっていない。空気を吸うと、かつて過ごした青春時代の情景がありありと思い浮かんだ。


「……あれ?」


 不意にバイクが一時停止した。信号があったわけではない。人を検知したとの機械音声が流れるが、周囲には誰もいなかった。


「誤作動かな……?」


 そのとき、視界の隅に見覚えのあるものが映った。
 まどかの形をした、あの影だ。
 影は商店街へと続くトンネルの中にいた。萎びた植物のように動かずじっとしている。
 暗がりの中で佇んでいるそれを見て、まどかは意を決した。


「……ごめんなさい、えれな。少し用ができました」
「え?」
「すぐ戻りますので」


 困惑するえれなを残し、まどかはバイクを降りる。直後にバイクのエンジンが鳴り、えれなを乗せたまま別方向にある駐車場の方に走っていく。
 近付いてくるまどかを認めて、影は後退りした。


「どこへ行くのですか」


 影は答えない。
 だが見れば分かる。行先など、どこにもないのだ。
 あの夜まどかに拒絶されてから、影はずっと彷徨い続けてきたのだろう。そうして放浪をつづけるうちに、ここまで迷い込んだのだ。


 まどかは顔を上げる。トンネルの先にあるのは懐かしき心の故郷、観星町の商店街。
 明かりの灯る向こう側までは数十メートルしかないが、影はそちらには行こうとしない。入口にはまどかが立ちふさがっているため、どこに逃げることもできず、わだかまる闇の片隅にうずくまった。


 まどかはゆっくりと歩みを進め、影の正面に立つ。
 影は叱責を恐れて萎縮しているのか、小さく縮みこまって震えている。


「……さあ、こちらへ」」


 影は戸惑い、差し出された手を見つめている。顔を上げると、声にならない声で尋ねた。
 どうして、と
 問われたまどかは、手を差し伸べたままニッコリ微笑んだ。


「だって、あなたは、わたくしですから」


 沈黙。
 やがて、影はおずおずと手を伸ばす。
 まどかの顔色をうかがうように。あるいは己の気持ちを確かめるように。
 手と手が触れ合った瞬間、まどかの脳裏には十五年前の記憶が蘇った。柔らかくて温かい手。綱渡りのような日々を過ごしていたまどかを引っぱり、一度も行ったことのなかった商店街に連れてきてくれたひかるの手の感触を。


 手を繋いだままトンネルを抜けると、影はまどかのことを見た。影はひとこと、小さな声でつぶやいた。それはやはり声になっていなかったが、まどかの耳には確かにこう聞こえた。
 ただいま、と。
 影は霧のように散り散りになって消えていき、まどかの中に入ってくる。
 痛みがあった。だが嫌悪はなかった。苦しくて、悲しくて、涙が滲んだが、その痛みすら慈しむように、まどかは自分の体をぎゅっと抱きしめた。


「……用事は済んだのかな」


 商店街の広場でえれなが待っていた。どうやらまどかより先に別のところから入っていたらしい。


「久しぶりだね。いっしょにここに来るの」
「そうですね。懐かしいです」
「綺麗だね」
「何がですか?」
「……星」


 えれなが空を指差す。つられて見上げて、まどかは苦笑した。
 最初に見つけたのは、宇宙に輝くキラキラ星。
 デネブだった。


「……十五光年、だそうですね」


 ふと、言葉がこぼれ落ちる。


「織姫と彦星、ベガとアルタイルの距離。七夕伝説では年に一度だけ会えると言われていますが、実際の距離でいうと光速でも十五年かかるそうです。十五年かけて、ひかるはララに会いに行ったのですね。光の速さで」


 ララがベガだとすれば、ひかるはアルタイルだ。
 だがそれでも、まどかにとってはデネブだった。


 辛いとき、苦しいとき、未来が見えなくなったとき。夜空を見上げればいつでも思い出せる。星々が見えないのであれば、目をつぶって心に描けばいい。自分を照らしつづけてくれたあの輝きと、大好きの詰まった十五年間を。


 それはまどかに、前へ進む力を与えてくれる。


「今度、五人で女子会をしませんか?」
「……もう、大丈夫なの?」


 まどかが顔を濡らしている理由について、えれなもおおよそ察しがついているのだろう。なにせ十五年来の親友である。何ら不思議なことではない。


 まどかは涙を拭い、空を仰ぐ。そしてまっすぐにその星を見据えると、晴れやかな顔で、迷うことなく、うなずいた。


「ええ。わたくしはもう、大丈夫です」


 その瞳には、闇夜に煌めく月の輝きが映っている。

 


 終わり

 

あとがき

 長めの話を読んでいただきありがとうございました。

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