『ゆめみるがらくた』乙川灯著(第8回THE GATE編集部賞)を読みました。
少女×アンドロイドの(SF)短編百合漫画で、とても心に響くものがありました。
アンドロイドは登場しますが、SF要素はそれほど強くはありません。主眼として描かれているのは、「未来のないアンドロイド」と「未来ある少女」の関係性であり、その「尊さ」です。
ネットで無料で公開中なので、ぜひ読んでみてください。
廃棄を目前にしたアンドロイド
物語の筋はこうです。
機械としての寿命を迎え、近いうちに廃棄されることになったアンドロイド。
彼女の仕事は、1人の少女に仕えること。
廃棄を前にしたアンドロイドは、残された少ない時間を使って少女と旅に出ることを決意します。
アンドロイドは××の夢を見るか
これはきっと私がやり残したこと 間違いなく最初で最後の旅でしょう
寿命を迎えたアンドロイドの「やり残したこと」とは何なのか?
それについては、ぜひ本編を読んで確認してください。
結末を迎えたとき、私は胸の奥から込み上げてくる熱い感情に呑まれ、ただただその尊さに合掌することしかできませんでした。
以下、ネタバレ考察
壊れたカメラ
物語の途中で、未完成の大聖堂の写真を撮ろうとしたとき、カメラが壊れてしまっていて撮れない場面がありました。
それを見たアンドロイドのドロシーは、「自分も壊れたカメラと同じ」なのだとモノローグでいいます。
私はそろそろ退場の時間です 壊れたカメラが捨てられるのと一緒
この場面、私はとても好きなんです。
確かにドロシーは「壊れたカメラ」と同じかもしれません。あとは捨てられるだけの存在で、実際、寿命を迎えたドロシーは破棄されてしまいます。
しかし、たとえカメラが壊れたとしても撮影してきた写真は消えないように、ドロシーが破棄されたとしてもそれまで一緒に過ごした思い出は消えないのです。
物語の結末では、旧ドロシーが破棄され、新ドロシーが家に来ていますが、主人のマリアンはしっかり旧ドロシーのことを覚えていますよね。
これは、マリアンの心のなかで、破棄された旧ドロシーとの想い出がしっかりと残り続けていることを意味します。
ドロシーは悲哀から自らを壊れたカメラにたとえましたが、物語の結末では、壊れたカメラという比喩がある種の希望を生み出しているわけです。
百合、それは圧巻の百合
アンドロイドのドロシーが「マリアンと家族になりたかった」と叫ぶシーンで目頭を爆撃され、続くこのシーンで無事私の涙腺は決壊しました。
他のロボットにはマリアンを渡したくない。家族だから。
この純真さ、この独占欲。
ドロシーのいう『家族』とは、どういった関係を示すものなのでしょうか?
マリアンは最初、汽車に乗るシーンでドロシーのことを「ママ」と呼びました。
ドロシーはそのとき、「親子というより姉妹では?」と内心で思います。
その後、宿泊先でダンスを踊ったとき、ドロシーはマリアンのことを「王女様」といってエスコートします。
また、マリアンはドロシーのことを男の子と対比させてこういいます。
「学校の男の子たちなんかよりも、ずっとダンスが上手だ」と。
このあたりの描写は、ドロシーとマリアンが「パートナー」の関係であることを示唆しているようにも捉えられます。
しかし、その後すぐに、マリアンはいいます。「ママはドロシーだったのかな」と。
一連の会話を見ていくと、マリアンはドロシーのことを全体的には「ママ」として捉えていますし、ドロシーも「ママ」として見られることを困惑しつつも嬉しく思っている様子です。
しかし、他のロボットにはマリアンを渡したくない、という言葉。
ここには紛うことなき独占欲が含まれていて、二人の関係が単純な「親子」ではなく、「パートナー」としての要素もあるのでは? という考えが脳裏によぎりました。
親密で曖昧な関係性、それもまた、百合の醍醐味ではないでしょうか。
おわりに:乙川灯さんの他の作品もおすすめ
乙川灯さんは過去にもモーニングゼロで受賞していたようで、下記の漫画も無料で読むことができました。
こちらは百合ではないですが、めっちゃ心に来る良作なのでおすすめです。
参考:新おとぎ話の歩き方 (モーニングゼロ2018年7月期奨励賞)/乙川灯
あと、社会人百合漫画の『Drip』もすごく良かったです。こちらも公式サイトから無料で読めます。
百合の奇書、奇書の百合。
個人的には、百合SFの覇王たる小説だと思っています。感想と考察を書いています。
こちらは心が温かくなる極上の百合漫画。あのキス。10巻に及ぶ尊すぎる物語は、ついに完結しました。
いや、本当に素晴らしい百合漫画でした。
心満たされる時間をありがとうございました。こんな傑作が無料で読めていいのでしょうか…乙川灯さんの漫画が単行本化したらぜひぜひ購入したいです。
以上、『ゆめみるがらくた』の感想レビューでした。