しっとり甘口ひかララ(29)SSです
大学入試の当日にイエティが亡くなって、動揺のあまり絶望的な点数を取ってしまった星奈ひかるが、「再会」を果たすまでの話
(ひかララ(29)/全年齢/百合/9000字程度)
※トップ画像はFree-PhotosによるPixabayからの画像です(フリー画像)
『デネブの見えない夜』
「――この部屋に来るのって、十五年ぶりルン?」
ララは嬉しそうに頬を綻ばせながら、壁に貼られている宇宙人やUMAのポスターを眺める。久しぶりに訪れた自分の部屋は、なんだか懐かしい匂いがする。
「そうだね。わたしも最近は仕事が忙しくて、なかなか帰れてなかったから、来るのは久しぶりかも」
もとはといえば、お父さんの書斎だった部屋だ。その次にわたしの部屋になって、今ではただの物置になっている。
「そういえば、ひかる、前に見せたいものがあるって言ってたルン?」
「あ! そうそう、これなんだけどさ……」
わたしは本棚から一冊のスケッチブックを取り出すと、ララの手を取って、いっしょにベッドの縁に座る。パラパラとめくって見せると、ララはその顔をキラキラと輝かせる。
「これ、もしかして、ひかるのオリジナル星座ルン?」
「うん! 昔のわたしが描いたやつだよ~! ララといっしょに描いたのもちゃんと残ってるよ……ほら、ひかララ座!」
「オ、オヨ……今見返すと、めちゃめちゃ恥ずかしいルン……」
顔を紅潮させるララを見ていると、胸の奥から温かい感情が湧き上がってくる。
わたしはお尻を動かして、その華奢な肩に寄りかかる。
「ひ、ひかる……くっつきすぎルン……。春吉とかに見られたらどうするルン……」
「えへへ。別にいいじゃん。昔だって、これくらいはくっついてたし」
「だ、だめルン……! わたしたちはもう大人ルン……!」
「十五年前だって、ララは一応大人だったよ?」
ララは何か言い返そうと口をパクパクさせるが、言葉が思い浮かばないようだ。ついには、「ルルルン! ルルンルルルル!」と、サマーン語で誤魔化し始める。
なんてことのない日常だ。
しかし、ララとこんなふうにして日常を過ごせるようになるまでには、十五年の歳月がかかったのだ。十五年間も離れていたんだから、十五年分を取り戻すくらいくっついていたい。それが、わたしの本音だった。
『――お盆って何ルン?』
帰省するという話をしたとき、ララにはまず、お盆の説明をする必要があった。
『お盆っていうのは、亡くなった人たちの魂が、こっちの世界に帰ってくるのをお迎えする行事なんだ。わたし、毎年この時期には実家に泊まりに行ってるから、よかったらララもいっしょにどう?』
『ルン! ひかるの家族にも、ちゃんと挨拶しておきたいルン』
そう言って快諾してくれたのが、先週の話だった。
「もう、ひかる~! 見られたらどうするルン~!」
「あはは、ごめんごめん」
ララはぷくっと頬を膨らませる。その表情がかわいくて、つい、またくっついてしまいそうになるが、これ以上ララを困らせるのも本位ではない。
拳ひとつ分くらいの距離を空けて座り直し、いっしょにスケッチブックをめくっていく。自分でも意外と覚えていないもので、こんなの描いたっけ? というものも少なくないが、中には鮮明に覚えているものもある。
たとえば、その星座がそうだった。
「これは、何ていう名前ルン?」
「…………」
「? ひかる?」
「あっ、ごめんね」
つい物思いに耽ってしまい、返事をするのを忘れてしまう。
「これはね……わたしが高校三年生のときに描いたものなんだ。この星がデネブで、鼻を表してるんたけど、」
説明しようとした、そのときだった。
ガタガタッと、不意に、窓が鳴った。
「…………」
おもむろに立ち上がって、窓際に向かう。窓を開けると、夏の夜の生暖かい風が部屋に入り込む。あたりを確認してみるが、特に不審な点は見受けられない。
ただの風のようだ。
窓の外に顔を出して、夜空を見上げる。はるか彼方に浮かぶ星々を眺めていると、自然と十二年前の情景が頭に浮かんでくる。
降りしきる雨、肌を突き刺すような冷たい風、暗雲が立ち込める夜空、濡れてぐちゃぐちゃになった答案のメモ用紙、そして――
「その星座の名前はね、」
くるっとララの方を振り向いて、わたしは言う。
「イエティ座、っていうんだ」
――愛犬の、死。
☆ ☆ ☆
星ひとつ、見えなかった。
一月の雨はあまりにも冷たかったが、どうしても傘を開く気にはなれなかった。傘をさしてしまったら、ただでさえ暗雲に隠されている星々が、もう二度と見えなくなってしまう。そんな不安に囚われていたのだ。
「……ララ、ごめんね。わたし、だめだった」
コートのポケットから一枚のメモ用紙を取り出す。吹き付ける雨に濡れて、紙はどんどんボロボロになっていく。
まるで、今のわたしみたいだ。
そう思ったとき、ひと際強い風が吹いて、紙は手元から離れていってしまう。
「あっ……」
紙は遠くの方へと飛んでいき、あっという間に見えなくなってしまう。
「…………何やってるんだろ」
ため息を吐きながら、体をぶるぶると震わせる。
もう帰ろう。こんな雨じゃ、星だって見えやしない。
踵を返そうとしたとき、ふと、背後から声がした。
「――こんなところにいては、風邪をひいてしまうよ」
そこには、遼じいが立っていた。
左手には傘が、右手には一枚の紙を持っている。その紙が、ついさっきまで自分が持っていたものだと理解するには、それほど時間はかからなかった。
「……これは、ひかるのものかな? 大切なものではないのかい?」
「別に……大したものじゃないよ。一次試験の答案のメモなんだけど、自己採点は、もう、済んでるから……」
「ひかる……もしかして、何かあったのかい?」
わたしは遼じいの手元の紙に目を向ける。
自己採点の結果は、ボーダーラインを大幅に下回っていた。第一志望である観星大学の航空宇宙学科の合格は、絶望的だ。二次試験の記述と小論文、そして面接で、ほとんど満点に近い点数を取らなければ、合格ラインには届かない。
わたしは無理矢理に笑顔を作って、遼じいに見せる。
「あのね、入試の自己採点をしたんだけどね、」
「いや、その話ではないよ」
遼じいは、わたしの言葉を遮って言う。
「
「…………え」
その言葉に、わたしは思わず目を見開く。
「……遼じいは、何でもお見通しだね」
「歳を取れば、誰だってこうなるものさ。……望んでいなくたってね」
遼じいはゆっくりと近付いてきて、わたしを傘の中に入れる。それ以上は何も言おうとはせず、じっと、わたしが口を開くのを待ち続ける。
わたしは遼じいの顔を見る。声が震えそうになるのを必死に堪えながら、その言葉を絞り出す。
「……死んじゃったんだ」
「…………」
「イエティがね、死んじゃったんだ」
「…………」
長い沈黙を経て、遼じいはひとこと、「そうか」とつぶやく。
「突然のことだったのかい?」
「うん……。でも、わたし、分かってたんだ。前まではね、散歩の時間になったら、『連れてって~』って、散歩のための首輪を持ってきてくれてたんだけど、最近はそういうのもなくなっちゃってたし。寝てる時間もすごく増えてて、ああ、イエティもおじいちゃんになったんだなって、思ってたから。……平均寿命を考えたら、イエティはむしろ、長生きしてくれた方だしね」
「確かに、イエティはわしよりもおじいさんだったからのう……」
「そうなの。それでね、それでね――」
一度話し始めると止まらなくて、わたしは遼じいに、イエティとの思い出を語り始めた。幼い頃、イエティに触りすぎて嫌がられたこと。イエティが好きなことや嫌いなことを知っていったら、だんだん仲良くなれたこと。一度は、カッパードにイマジネーションを歪められてしまったこと。そして……
「……イエティが死んじゃったのはね、大学入試の当日だったんだ」
異変に気付いたのは、家を出たときだった。
イエティに「行ってらっしゃい」と言ったが、返事はなかった。寝ているかもしれない。そう思って近付いたとき、わたしはすべてを察した。
冷たくなっているイエティの体に触れて、すぐに家族を呼んだ。あとのことはやっておくから、とおじいちゃんに促されて入試を受けに行ったが、結果は散々だった。何とか平常心を保とうとしたが、無理だった。考えないようにすればするほどイエティのことが頭をよぎり、気が付けば、わたしは出口の見えない袋小路に迷い込んでいた。
「……ぜんぶの試験が終わったとき、わたし、『終わった』って思ったんだ。それで、自己採点してみたら、やっぱりひどい結果でさ。……でも、わたしがいちばん嫌なのはね、入試に失敗しちゃったことじゃないんだ」
「…………」
「……わたし、心のどこかで、こう思っちゃったんだ。『入試に失敗しちゃったのは、イエティが死んじゃったせいだ』って。それで、気が動転して、うまくいかなかったんだって。……わたし、無意識のうちに、ぜんぶイエティのせいにしようとしてたんだ。イエティは、大好きな家族だったのに」
「…………」
「……わたしね、ララと約束したんだ。また宇宙に行って、会いに行くよって。でも、わたし、だめだった。行きたいって思ってた大学にも行けなくて、失敗した原因をイエティに押し付けようとして。……そんなわたしに、宇宙に行く資格なんて、ないんだよ」
「…………」
傘を叩く雨粒の音だけが響く。
顔を上げると、遼じいと目が合う。遼じいの表情は、先ほどから眉ひとつ変わっていない。穏やかな微笑みを浮かべたまま、じっと、わたしのことを見つめている。
「……ひかる」
長い、長い、沈黙を破って、遼じいが口を開く。
「空を見てごらん」
そう言って、遼じいは傘を斜めに傾ける。言われた通り、わたしは空を見上げる。
「何か、見えるかね?」
「……ううん。何も見えない。見えるのは雲だけ」
遼じいは微笑を浮かべたまま、わたしに問いかける。
「デネブは、地球からどれくらい離れているか知っているかね?」
「……1400光年くらい、だったと思う」
「その通り。デネブの光が地球に届くまでには、約1400年かかる。つまり、わしらが見ているデネブの輝きは、『今から約1400年前に放たれた光』というわけじゃな」
「…………」
わたしには、遼じいが何を言おうとしているのか分からない。
ただ、こんな雨の中でも、落ち込んでいるわたしを前にしても、いつもと変わらない様子の遼じいを見ていると、不思議と気持ちが落ち着いていくようだった。
「ひかるは、星にも寿命があることを知っているね?」
「うん。太陽の寿命は、100億年くらいなんだよね」
「ああ。星の寿命は、わしらと比べるととても長い。しかし、いつかは死んでしまうということには変わりない。死んでしまった星には、もう二度と、行くことはできない」
「…………」
「だけどね、ひかる、」
何も見えないはずの空を見上げながら、遼じいは続ける。
「星が死んだ後も、輝きはしばらく残り続ける。デネブが死んでしまっても、その光は1400年間、地球に届き続けるんじゃよ」
遼じいはそう言って、わたしに答案のメモ用紙を差し出す。
「……………………」
遼じいは、無言でわたしの目を見つめる。
決して押し付けることはなく、それを受け取るのか、受け取らないのか、わたしが決めるのを待っている。
「……ねえ、遼じい」
漏れそうになる嗚咽を押し留めて、わたしは問いかける。
「イエティの輝きは、どれくらい、残り続けるのかな」
「それを決めるのは、ひかるじゃよ」
遼じいは顔を綻ばせながら言う。
わたしはゆっくりと手を伸ばして、遼じいからメモを受け取った。
「……遼じい、ありがと」
「いや、わしは何もしておらんよ」
それじゃあ、そろそろ天文台の片づけをしてこようかの。そう言って、遼じいはわたしに傘を預けると、「待って」と止める暇もなく、そのまま小走りで去って行った。
「…………」
ひとり残されたわたしは、ポツンと立ち尽くす。時計を見ると、かなり遅い時間になっている。
そろそろ家に帰ろう。家族も心配しているかもしれない。
紙をポケットに仕舞って、歩き出そうとした。
そのときだった。
「――――っ」
手の甲に、何かが触れた。
それは、時間にすれば一秒にも満たないような、ほんの一瞬の出来事だった。
寒さで手の感覚は鈍くなっていたし、雨に濡れてびしょびしょだったし、単なる錯覚だという方が、よっぽど説得力はあった。
でも、わたしは、
「…………ララ?」
知らないはずがない。忘れるはずがない。間違えるはずがない。
それは、センサーの感触、だった。
「ララ……? ねえ、ララなの……?」
周囲を見回すが、ララの姿はどこにも見えない。
わたし以外には、誰もいない。
「…………」
わたしは傘を傾けて、夜空を見上げる。
相変わらず、空は一面の雲に覆われている。雨も当分、降り止みそうにない。その事実は変わらない。
しかし――
「……待っててね、ララ」
確かに、空の向こうで輝くデネブを、わたしは見つけたのだった。
☆ ☆ ☆
「星奈ひかるさん、どうぞお入りください」
二次試験の当日。
記述式の試験と小論文を終えたわたしは、最後に残された面接試験に挑んでいた。
不思議なほど緊張はなかったし、二次試験についてはかなりの手応えを感じていた。あとは、面接試験がどう評価されるかにかかっている。そんな確信が、わたしの中にはあった。
「――先ほど、宇宙人に会うのが夢だと仰っていましたね」
つつがなく進んでいた面接試験だったが、真ん中の面接官が口を開いたとき、空気が変わった。
厳格な雰囲気の人だった。他の人はわたしの回答に笑ってくれたり、相槌を打って反応してくれたりしたが、この人だけは表情ひとつ変えることなく、わたしを観察し続けていた。
わたしが「はい」と答えると、その面接官はこう問いかけた。
「もし、宇宙人に出会ったら――あなたは、どうしますか?」
時が止まった、ような気がした。
何と答えればいいのか分からなかったわけではない。その答えは、ずっと、ずっと、片時も忘れることなく、胸の内に潜めていたものだ。
「……星奈さん?」
それなのに。
いや、だからこそ、即答できなかった。
込み上げては零れそうになる感情を、必死に堪えながら。
大きく息を吸って、めいいっぱいの笑顔を浮かべて、こう答えた。
「わたしは、その宇宙人と、お友達になりたいです」
他の面接官が朗らかに笑う中で、その人だけはニコリともせず、ひどく真剣な眼差しをわたしに向けていた。
☆ ☆ ☆
「――それでね、何とかギリギリで観星大学に合格できたんだけどね、実はその面接官は観星大学の教授で、元宇宙飛行士でもあったんだ! キラやば~っ☆ それでわたしはその先生の研究室に入って、宇宙のことをたくさん教えてもらうことになるんだけど……って、あれ、ララ?」
見ると、ララは目を赤くしながら、すんすんと鼻を鳴らしている。
「ひかる……ひかるぅ~~~~……」
「ララ、泣いてるの……?」
「だって、だって……」
ララは服の袖で目を拭いながら、呻くように言う。
「……ひかるの夢は……わたしの夢と同じだったルン……」
わたしはララの隣に座って、その繊細な肩を抱き寄せる。
「ララの夢は、叶った?」
ララは目を腫らしながらも、満面の笑みを浮かべて、わたしに体を預ける。
「ルン。……ひかるの夢も、叶ったルン?」
「う~ん……それが、叶ったかというと、微妙なところなんだよね」
「オ、オヨ……?」
目を丸くするララに、わたしはニッと笑いかける。
「だって、ララとはもう――
地球人よりも白いその耳は、みるみるうちに赤くなっていく。照れ隠しなのか、わたしの胸に顔をうずめて、ふふ、と笑う。
「ちょっとララ、くっつきすぎじゃない? おじいちゃんとかに見られたらどうするの?」
「べ、別にいいルン……昔だって、これくらいは普通にくっついてたルン」
「わたしたち、もう大人だよ?」
「十五年前だって、わたしは大人だったルン」
目の前の髪をとかすようにして撫でると、ふわりとララの香りが立ち上がる。
おもむろに、ララが顔を上げて、上目遣いにわたしの目を見る。トクン、と心臓が波打つ。艶やかに濡れた唇が、早く来て、とわたしを誘っている。
「……ララってさ。昔より、甘えんぼさんになったよね」
「ひかるは、嫌ルン……?」
ララの頬に手を当てて、瞳の奥を覗き込む。そこに見えるのは、どこまでもいじらしくて、愛おしい、蠱惑的な輝きだ。わたしは込み上げる情動を唾といっしょに飲み込んで、ちょん、とララの鼻に自分のそれをくっつける。
「分かってるくせに」
ララはくすぐったそうに微笑むと、唇を差し出したまま、そっと目を閉じる。
温かな息がわたしの顔を撫でて、いよいよ、我慢の糸が切れる。
吸い寄せられるようにして、残り数センチの距離を詰めていく。
そして、唇と唇の表面が触れ合いそうになった。
そのとき。
ガチャッ、と。ドアが開く音がした。
「……………………おぉ」
振り向くと、おじいちゃんが立っていた。
おじいちゃんは呆気に取られた様子で、しばらくわたしたちのことをじっと見ていた。が、やがて眼鏡を外すと、自分のシャツでレンズを拭き始める。それが終わると、眼鏡をかけ直して、何事もなかったかのように言った。
「お風呂は沸いているから、好きなときに入りなさい」
おじいちゃんは「眼鏡が曇ってよく見えんなぁ……」と独り言をつぶやきながらドアを閉めた。
「…………」
「…………」
わたしはララの顔を見る。ララの顔は痛々しいくらいに真っ赤になっている。
わたしは何と言葉をかけたらいいのか分からず、気が付けば、こんな提案をしていた。
「あ、あのさ……天体観測……行かない……?」
ララは頬を染めたまま、ぎこちないロボットのように、カクカクとうなずいた。
今日は星が綺麗だ。
支度を整えたわたしたちは、夜の散歩に出る。
玄関を出たところで、ララは急に立ち止まって、庭の方に視線を向ける。その先には、イエティの犬小屋がちょこんと座っている。
「犬小屋、けっきょくそのままでさ。小屋の近くに骨を埋めてあるから、帰ったときには手を合わせてるんだけど」
「手を合わせるルン?」
「そうそう。手を合わせて、目を閉じて、心の中で思い浮かべるの」
犬小屋に近付いていく。見た目は古くはなっているが、まだ使おうと思えば使えそうではある。
わたしが手を合わせると、ララも同じように真似をする。手だけではなく、触角も合わせているのがララらしい。
目を閉じると、イエティの記憶が蘇る。それは今も確かに、わたしの心の宇宙で輝き続けているのだ。
「……そういえばね、イエティが死んじゃったとき、ひとつだけ不思議なことがあったんだ」
合掌を終えて、ララに語りかける。
「イエティの首輪が、なくなってたの。散歩に行くときに使ってた首輪で、イエティのお気に入りだったから、形見に取っておこうって思ってたんだけど、どうしても見つからなくて」
「イエティがどこかに隠したルン?」
「もしかしたら、そうかも」
すると、ララは何か思いついたように、
「犬小屋の中に、落ちてたりしないルン?」
「うーん、何度か探したけど、なかったんだよね。たまに掃除もしてるけど、やっぱり見当たらないし」
「ルン……」
ララは地面に膝をつけると、犬小屋の中を覗き込む。明かりのない真っ暗な小屋の中に手を突っ込んで、ガタゴトと音を立てながら探し始める。
「ね、何もないでしょ?」
「……うーん……何もない……ルン……?」
「オヨ……?」と言いながら、ララは眉間にしわを寄せて、それを取り出す。
「ひかる……これって……?」
「…………え、」
息が、止まった。
知らないはずがない。忘れるはずがない。間違えるはずがない。
それは――
「イエティの……首輪だ……」
手に取ってみて、わたしは確信する。
「犬小屋の中なんて……何度も探したつもりだったのに……どうしてだろ……?」
疑問符ばかりが頭に浮かんでいると、ララは優しげな口調で、
「きっと、帰ってきたルン」
「え……?」
「今日はお盆だって、ひかる、言ってたルン? イエティも、わたしたちといっしょに、散歩に行きたがってるルン」
「…………」
わたしは首輪に視線を落とすと、両手でぎゅっと持ったまま、自分の胸に押し当てる。初めはひんやりとしていた金具の部分も、そうしていると、徐々に温まっていく。
「…………」
少しでも口を開けてしまえば、せき止めていたものが崩れてしまう。
そんなことは、分かっていたけれど。
「ひかる……大丈夫ルン……?」
ララがわたしの背中に触れた瞬間。
その堤防は、あっけなく、決壊した。
「……わたしね、ずっと、怖かったんだ」
ぼろぼろと、言葉が零れ落ちていく。
「ずっと、怖かったの。イエティが死んじゃったとき、もう二度と会えないんだって思った。一次試験に失敗したとき、もうだめだって思った。ララとの約束を果たせないって。自分の力じゃ宇宙に行くことなんかできないって。イエティと同じように、もう二度と、ララにも会えないんだって。それで、わたし……」
ふと、背中に、ララの温もりが伝わる。
ララが後ろから、わたしのことを抱きしめてくれていた。
「……でも、会えたルン?」
「うん」
「それに、イエティにだって」
「うん」
「ひかるは、偉いルン。いっぱい、がんばったルン」
よしよし、と頭を撫でられる。
わたしは返事もできずに、ただただ、背中越しにララを感じ続ける。
「……ありがと、ララ」
どれくらいの間、そうしていただろう。
ゆっくりと体を動かして、ララと向かい合わせになる。ララはわたしの顔を確かめると、心配そうに尋ねる。
「……一回、家に戻って休むルン?」
「ううん」
わたしは首を横に振る。そして、ニッと笑って答える。
「行こうよ、天体観測。三人でさ」
少しだけ間を空けて、ルン、とララはうなずく。
ララのセンサーが手の甲に触れたとき、やっぱりそうだ、とわたしは思った。その感触は、十二年前のあの夜に感じたものと、同じだった。
左手でイエティの首輪を握りながら、右手でララのセンサーを優しく包み込む。
「ねえ、ひかる、イエティ座はどれルン?」
柔らかな笑みを浮かべながら、ララはわたしに尋ねる。
「まずはね、デネブを探すんだ。星の中でもひと際明るいから、今日みたいに天気が良ければ、簡単に見つかるよ。えっとね……」
言いながら、夜空を見上げたとき、わたしは思わず苦笑してしまう。
「……ごめんね、ララ」
「? ルン?」
「やっぱりさ……ちょっとだけ……待ってもらってもいい……?」
片手で自分の顔を覆う。
溢れ出る涙が邪魔するせいで、デネブはぜんぜん、見えなかった。
『デネブの見えない夜』
了
他のひかララSS
①『正しいツインベッドの使い方』
激甘ひかララ(29)SS第一弾です。
②『正しいカルーアミルクの飲み方』
激甘ひかララ(29)SS第二弾です。
③『星奈ひかるは慣れている』(R15)
激甘ひかララ(29)SS第三弾です。(今回の話の前振りをしています)
『オルフェウスごっこ』
ひかララ(14)です。