金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

神アニメ・スター☆トゥインクルプリキュアをまとめて振り返りたい(後編)

 最近は毎日スタプリの曲を聴きながら生きています。どれもいい曲で、ドキドキドリームが煌めきますね…。

 

 今回は37話から41話まで語っていきたいと思います。

 

※この記事は放送当時に書いて放置していたものです。

 今日はひかるさんの誕生日だな〜と思って見返していたところ、この記事を”発見”しました。ちょっと中途半端ではありますが、せっかくなので、懐かしい気持ちと共に当時の内容そのままにアップしてみます。

 

 

 

37話:カッパードが「オレ」を曝け出す時

 37話ってどんな話だっけ? と忘れてしまっても、「仮装コンテストの回」だと言えば思い出せるはずです。ミホッシースターズという架空(?)のヒーローも登場してすごく楽しい回なのですが、カッパードさんの過去が明かされ、そのえげつなさに打ち震える回でもあります。

 

 中でも、印象的だったポイントが2つあります。

 

 1つ目。

 カッパードさんの一人称は「わたし」ですが、2回だけ、自分のことを「オレ」と言いう場面があります。その2回のうちの1回が、この37話です。

 

カッパード「オレの星はすべて奪われた」

 

 このとき、カッパードさんが「オレ」という一人称を用いたのは、これがカッパードさんの「個」としての叫び、心からの声だったからです。ひかるさんたちの前に立っていたのは、ノットレイダーの幹部のカッパードさんではなく、信じていた異星人たちに裏切られて強い憤りを感じる、一人の人間としてのカッパードさんだったのです。

 

 2つ目。

 参加者と間違えられ、記念撮影を求められるカッパードさんは命からがら(?)会場から抜け出したとき、ちょうどひかるさんたちと出くわします。その際、ひかるさんはカッパードさんに対して明確な「敵意」と「警戒心」を見せます

 

 実は、この時点でカッパードさんは何も悪いことはしていません。敵意すら見せていません。カッパードさんがやったことといえば、地球人と記念撮影を一緒に撮ったことくらいです。しかし、にもかかわらず、ひかるさんはカッパードさんに「敵意」を見せるのです。「決めつけはなしだよ」と、「対話」の大切さを唱えてきたひかるさんが、「対話の姿勢も見せず」、一方的に「カッパードは悪いことをしに来た」のだと「決めつけている」のです。

 

 また、続く戦闘でも、「異なる星の者が理解し合うことなどできはしない!」というカッパードさんの台詞に合わせて、プリキュアとノットレイが拳を交わすカットが挿入されることによって、カッパードさんの主張が「現実」のものとして描かれています。

 

 37話では、ひかるさんたちプリキュアとカッパードさんたちノットレイダーが敵意を向け合う現実を描くことによって、「分かり合うこと」の難しさを改めて示していたのです。

 

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 38話:ユニがアイワーンと決着をつける時

 38話はユニがアイワーンちゃんとひとつの決着をつける回です。

 アイワーンちゃんといえば、ノットレイダーの中でも、かなり極悪非道なこと(宝石を奪う、わざとではないにしろ惑星レインボーを滅ぼす)をしてきたキャラクターであり、視聴者からはネガティブな印象をもたれる傾向があったと思います。正直、私自身も、あれだけのことをしたアイワーンちゃんを説得力のある形で和解エンドに持ち込むのは、かなり難しそうだなとは思っていたのですが、そこはさすが、スタプリでした。見事な手腕と説得力で、二人の決着を印象的かつ感動的に描いていました。

 

 スタプリの脚本が巧妙なところは、ノットレイダーたちによる極悪非道な侵略行為を具体的に描いているのが、アイワーンちゃんだけであるという点です。他の幹部たちは、プリキュア周辺を侵略する描写に終止しており、プリキュアとまったく関係のないところで「星を滅ぼす」という最大の侵略をしたのは、アイワーンちゃんだけでした。

 

 敵キャラによる侵略行為を具体的に描けば描くほど、視聴者の心の針は、「共感」から「敵視」へと振れていきます。スタプリは、アイワーンちゃんを「もっとも感情移入しづらい背景」を持つキャラクターとして描くことによって、「分かり合うことが大切だって言うけど、それはホント? だったら、こんな憎い敵とも分かり合いたいと思える?」という弾丸のような問いを私たちに放っています。

 

 ユニもはじめは、その問いに対して「否」を突き付けていました。ユニは涙を流しながら、アイワーンちゃんのことを「許せない」と言っています。「許せない」という言葉は、プリキュアシリーズでは聞きなれている言葉ですが、実は、スタプリではほとんど耳にすることのない言葉です。たとえば、地球を侵略しようと目論むノットレイダーたちに対して、ひかるさんはこう言っています。(スタプリ11話)

 

ひかる「どんな理由があっても 大好きな宇宙を…星座を…星を…地球をうばうなんて…わたし 嫌だ!」

 

 ひかるさんは、「地球を奪うなんて許せない」ではなく、「嫌だ」と言うのです。

 

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 ここで、プリキュア過去作ではおなじみの「許さない」という言葉ではなく、「嫌だ」という言葉を使用しているところが、スタプリの目指そうとしている終着点がどこなのかを示しているように思えるのです。(スタプリ11話の考察より)

 

 スタプリは異なる相手と分かり合えるか?ということをテーマのひとつにしている関係上、「許せない」という「分断を生む言葉」を使うことには慎重な姿勢を見せていました。が、38話では、ユニがここぞとばかりに、この言葉を使うわけです。これによって、ユニの許せないという心情が、どれだけ激しく、哀しく、怒りに満ちたものなのかが如実に描かれていたのです。

 

 そして、ここからがスタプリの真骨頂です。

 これだけの「重み」が載せられた「許せない」という言葉をユニに使わせながらも、ユニは、自分自身の「想い」によって、アイワーンちゃんを「許す」ことに決めます。ここで注目したいのは、誰一人として、「アイワーンを許すべき」といった趣旨の発言はしていないなかで、ユニが自らの意思によって「許す」と決めたことです。

 

 スタプリは「想いを重ねる」ことはあっても、「想いをひとつにする」ことを強制したりはしません。(現に、五人の必殺技であるスタートゥインクルイマジネーションでの掛け声は、「想いを重ねて!」です)。助言や支えはあったとしても、その人のことは、あくまでもその人が決める――スタプリはそのことを一貫して描いているのです。

 

※感動しすぎてめちゃくちゃ書いています。

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39話:スタプリが見せた「多様性」に対する回答

 39話は、えれなさんとテンジョウさんの決着回に至るまでの「助走」とも言える回です。(テンジョウさんとの決着については後ほど語るので、いったん省略します)

 

 さて、スタプリは、「多様性が当たり前にある世界を描きたい」という想いの込められた作品です。このことは、インタビュー記事などでもたびたび語られています。

 

「スタプリ」放送開始時に登場した4人のプリキュアは皆、肌の色が異なる。同作を手がける東映アニメーションの柳川あかりプロデューサーは、放送を前に「多様性が当たり前にある世界を描きたい。ただ、多様性を強調しないようにしています」と語ったことがあった。

引用:<スター☆トゥインクルプリキュア>あす最終回 挑戦を振り返る 「多様性が当たり前の世界」描く(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース

 

 39話では、まさに、「多様性が当たり前にある世界」を卓越した演出を用いて描いていました。それが、「えれなさんの回想シーン」です。「人はそれぞれ違っていて、それぞれが違っているからこそ、世界はカラフルに輝いている」ということを、スタプリはとても印象的に描いていました。スタプリは本当にこうした演出が見事で、「すごいなあ…」と今でも時折思い出しては、感嘆の息を漏らしてしまいます。(詳しくは下記の記事を参照してください)

 

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40話:2年3組に「異星人」はいない

 号泣する以外に方法のないエピソード、それが40話です。

 この40話も、背景や小道具などをつかって、ララの揺れ動く心情を、繊細かつ印象的に描いていました。詳しくは下記の記事で述べているところなので省略しますが、とにかくこの心理描写が「ものすごかった」ですね。(詳細については下記記事を参照してください)

 

 さて、このエピソードでは、「異星人」と「宇宙人」の使い分け方の理由が、暗に示されていました。

 

 これまで、ひかるさんたちはララたちのことを「宇宙人」と呼び、宇宙についての専門知識が豊富な遼じいは「異星人」と呼んでいました。また、ララたちのような星空界の人たちは、他の星の人のことを、やはり「異星人」と呼んでいます。

 

 これは、一見すると、ひかるさんの視野が狭いようにも感じます。宇宙規模で見れば、地球人だって宇宙人であり、自分達のことを「地球人」、それ以外の星の人のことを「宇宙人」と呼ぶことは、「地球中心の考え方」だと捉えることもできるからです。

 

 では、なぜスタプリはこのような使い分けをしていたのか? 

 40話の考察で、そのまま言いたいことを書いていたので、引用します。

 

 2年3組にいるのは「異なる人間」である「異星人」ではなく、「同じ宇宙に生きる人間」である「宇宙人」なのです。(40話の考察より)

 

  宇宙人という言葉には、「同じ宇宙に生きる人間」というポジティブな意味が内包されており、ひかるさんは、自分も他の星の人たちも「同じ人間」なのだということを理解していたのでしょう。だからこそ、ひかるさんは「宇宙人」という言葉にこだわり、それを使い続けていたのです。そしてこれは、あの感動の47話にも繋がっていくことになります。

 

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41話:香久矢まどかの決着

  41話はまどかさんのトゥインクルイマジネーションが輝く回であり、ガルオウガ様との戦いを経て、お父様との決着をつける回でもあります。

 

 この回は特筆すべき点は、なんといっても、その圧倒的な戦闘描写です。お互いに縦横無尽に動き回りながら、知力と体力、そして気力のすべてをぶつけていくシーンは、まさに「圧巻」のひとことでした。

 

 さて、これまでの考察でも幾度となく述べてきたことですが、まどかパパ・冬貴さんは、決して、まどかさんの「敵」としては描かれていません。それどころか、まどかさんは冬貴さんのことを心から尊敬しており、その様子は、41話に至っても、変わることはありませんでした。まどかさんにとっては、冬貴さんは尊敬するお父様であり、自分にたくさんのものを与えてくれた恩師なのです。

 

 このことは、最後の決め手となった渾身のセレーネアローを放つとき、背後に冬貴さんの影が見えることからもうかがえます。冬貴さんの影は、まどかさんの弓と一体化していき、その弓をもって、まどかさんは渾身の一撃を放つのです。

 

 しかし、尊敬していることと、その人の言いなりになることは明確に異なります。

 お父様は尊敬している。でも、自分の未来は自分で決めるのだと、まどかさんは「決めた」のです。

 

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