この記事はスター☆トゥインクルプリキュア37話の感想考察(後編)です。
前編でカッパードさんについて頭を使いすぎたので、今回はあんまり込み入った考察はしておらず、頭の悪い文章が多めです。その点、ご了承ください。
- プルンスが笑かしてくる(イケメン)
- ひかさくが尊い
- カルロスの母国メキシコにおける仮装文化
- ユニは本当の姿になりたい
- えれまどが尊い
- ミホッシースターズの「紙演出」が最高
- 「そんなことないルン」とララは叫ぶ
- ひかララが尊い
- スタプリ37話の感想考察(後編)
プルンスが笑かしてくる(イケメン)
今回はプルンスが文字通りの「イケメン」になっていて笑いを堪え切れませんでした。首や肩などに撒いているのはバルーンアートなのでしょうか。あのクラゲ型のプルンスがどうやって二足で立っているんだろうと思ったら…
おそらくは二本の棒状のものに触手をグルグル巻き、竹馬のような要領で歩くことで、あたかも「足」のように見せているんじゃないでしょうか。
どうにせよ、このデザインを考えた人は十中八九天才だと思います(めちゃくちゃ笑った)
ひかさくが尊い
ひかる「姫ノ城さんのモスマン(※1)(※2)、キラやば~☆」
姫ノ城「そういうあなたはなんですの? ゴリラ?」
ひかる「ウホッ? イエティだよ。この毛をふさふさにするの、がんばったんだ~。うちの犬の名前、イエティっていうんだけどさ…」
これまでも何度か書いてきたことなんですが、私、姫ノ城さんめっちゃ好きなんです。今回はひかるさんとの距離が着実に縮まってて、ひかさく尊いな~と思いながら視聴していました。
スタプリ35話でひかるさんが言っていた台詞は覚えているでしょうか?
あのとき、ひかるさんは姫ノ城さんのことについて、こう言っていました。
ひかる「わたし、もっと知りたい。彼女のことを!」
(中略)
ひかる「わたしは、わたしのことも知って欲しい!」
今回、ひかるさんは姫ノ城さんのことを知ろうとしながら、自分のことを知ってもらおうとしていました。
まさに、有言実行。
今はまだ、ひかるさんは「姫ノ城さん」という呼び方ですし、姫ノ城さんは「あなた」という呼び方ですが、そのうち、これも「桜子」「ひかる」の仲になる日が来るのかもしれないと思うと、感無量という感じです(妄想の世界へダイブ)
※スタプリ35話は姫ノ城さんのための物語でした、という考察です。
※1 モスマンはアメリカ合衆国のウエストバージニア州のポイントプレザントという町で報告されたUMAです。月間ムーの公式サイトに概要が書いてあるので興味のある方はどうぞ。
少しだけ引用させていただくと、
外見の特徴=全身を覆う褐色および灰色の長い体毛と大きな翼、頭も首もない頭部と一体化した寸詰まりの胴体に、巨大な目が赤くギラギラと輝く。後肢で直立する。
というものです。姫ノ城さんの仮装も、「灰色の体毛」や「大きな翼」、「巨大な赤い目」というものを忠実に再現していることがわかります。きっと姫ノ城さんは全力で調べて衣装を作ったんでしょうね。かわいい。
引用元:
(※2)ちなみに、カルノリ君は「チュパカブラ」というUMAに扮していました。
カルノリ君がが「シャー!」とやっていたのは、チュパカブラが狂暴なUMAだからです。これも月間ムーの公式サイトで概要が書いてあるので、興味のある方はどうぞ。
参考リンク:
カルロスの母国メキシコにおける仮装文化
(えれな父)カルロス「セニョリータたちも最高だ」
(えれな母)かえで「ララちゃんのふるさとにも仮装はあるの?」
ララ「ないルン ち…ここに来て初めて知ったルン」
カルロス「どうだい? 初めての仮装は?」
ララ「楽しいルン!」
カルロス「それはよかった!」
ララのツチノコのコスチュームがかわいすぎて悶絶していたララファンの方も少なくないことだと思うのですが、その話はいったん横に置いて、メキシコにおける仮装文化についての話をします。
ここでえれなの父・カルロスはララに対して「仮装はどう?」と問いかけています。この口ぶりを見ると、カルロスは仮装についての知識や経験がそこそこあるようです。ここで疑問に思ったのは、カルロスが仮装について詳しいのは、日本におけるコスプレ文化の影響によるものなのか、それとも母国のメキシコでも仮装文化がメジャーなものになのか、ということです。
というわけで、調べてみたら、メキシコでもありました。仮装文化。
メキシコには「死者の日(Día de Muertos)」という日本のお盆に似た文化があり、その日は死者の魂が現世に戻ってくるといわれているそうです。ここで、メキシコの人たちは、骸骨などの仮装をしてパレードをしたりとワイワイするようです。(※1)
参考リンク:
「死者の日」がい骨姿でパレード、メキシコや米ラテン系住民 写真24枚 国際ニュース:AFPBB News
以上より、カルロスが仮装について訳知りであるのは、母国の文化の影響によるものだと思われます。
(※1)有名なところだと、ディズニー・ピクサーの「死者の日」を扱った映画で『リメンバーミー』があります。思えば、私も2回観てました。
えれなさんの父親の母国はどこなのか? ということについて、「メキシコ人」だと公式が発表する前に世界サッカーランキングや都道府県の人口統計データなどを駆使して予想し、見事全力で外した記事です(供養)
ユニは本当の姿になりたい
ユニ「本当の姿で堂々といられるって気分がいいニャン」
仮装コンテストに紛れて、ユニはレインボー星人の姿で街を歩いていました。本人はとてもリラックスしており、「毎日仮装コンテストでもいいニャン」というくらいにはご満悦な様子です。
これらの言動から、ユニはレインボー星人の姿が別に嫌いなわけでもなく、受け入れられていないわけでもないことが分かります。むしろ、ユニは普段からレインボー星人の姿で過ごしたいと思っており、レインボー星人の姿が好きなようです。
思い返してみれば、過去のユニは、マオもバケニャーンもブルーキャットも「偽の姿」だと強く自認していました(スタプリ25話)。ユニがレインボー星人の姿を隠しているのは環境による抑圧(=差別や迫害の目)が原因であり、そうした問題がなければ本来の姿になっていたいというのが本音なのでしょう。
ところで、普段スタプリメンバーだけしかいないときにも、ユニがレインボー星人の姿にならないのはなぜなのでしょう?
ユニ自身がレインボー星人の姿を受け入れており、その姿が好きであるならば、スタプリメンバーしかいないときにその姿になっていてもおかしくはありません。しかし、実際、ユニが日常としてレインボー星人の姿になることは今のところ一切ありません。
回答を考えるなら、「万が一にもメンバー以外の人に見られないようにするため」というものでしょうか。
プルンスやフワは最悪見つかっても「カバン」や「ぬいぐるみ」として誤魔化せますが、さすがに地球人たちにレインボー星人の姿を見られたら言い訳がしづらそうです。
また、地球以外の惑星でレインボー星人の姿を見られることは、「レインボー星人が迫害されてきた過去」を考えると、できる限り避けたいと考えるのは当然だと思います。
こうした見バレリスクを考えると、普段のユニが人型の姿をしているのはしかたないのかなと思います(ユニは警戒心も強そうですし)
※ユニの変化は「個性」のひとつであり、変化能力が何の暗喩になっているのかについて考察しています。
えれまどが尊い
えれな「よく似合ってるよ」
まどか「ふふっ」
めっちゃかわいい…
えれなさんから猫の仮装を褒められて素直に喜ぶまどかさん、かわいすぎませんか。ここで変に謙遜したりしていないのは、「ふいごの試練」を乗り越えて来たからなのかもしれません(スタプリ28話)
ちなみに、まどかさんはみんなと仲良くなるまで、お祭りにも参加したことなかったとスタプリ25話で言っていたので、おそらく仮装コンテストに参加したのも今回が初めてだと思われます。まどかさんにとってまたひとつ大切な思い出ができたようで、心が温かくなりますね。
※スタプリ28話、「ふいごの試練」周辺で語られていたことは何だったのか、考察しています。
ミホッシースターズの「紙演出」が最高
スター「観星町の星空から」
ミルキー「流れ星に乗ってオヨっと参上!」
ソレイユ「商店街を平和を脅かす」
セレーネ「悪い子はわたくしたちが」
コスモ「おしおきニャン」スター「わたしたちは」
一同「ミホッシースターズ!」
商店街を戦場にしたカッパードを相手にどう対処すればいいのか考えた末、ひかるさんが思いついたのは、仮装コンテストの参加者に紛れ、ミホッシースターズという「架空のヒーローの仮装をする」というものでした。
この「星メガネ」といい、名乗りを上げる際の「絶妙な動き方」と、その際に撒かれる「色付きの煙幕」、そして組体操のような全身を使った「決めポーズ」…そこはかとなく溢れ出る「自作感」の演出がもう最高でした。
アニメにおいては、現実離れした過剰とも言える動きを描写することで「画が映える」ようにする場面が多々あります。たとえば戦闘シーンや変身シーンにおいてはそれが顕著であり、カメラがびゅんびゅん動いたり、キャラクターが縦横無尽に動いたりすると、見ている側としても自然と胸が熱くなるものです。
しかし、今回のミホッシースターズの登場シーンにおいては、それと真逆のことが行われています。「過剰な演出」ではなく、「過小な演出」によって、ミホッシースターズの「手作り感」を表現することに成功しているわけです(神演出ならぬ紙演出)。
直前のプリキュアとしての変身シーンと比較すると、その「ギャップ」は凄まじく、思わず笑ってしまった方も少なくないことかと思います。
ミホッシースターズ、めっちゃ好きだ…。
(あと、ユニがノリノリでやってるのは、アイドル時代に培ったものだけではなく、メンバーと仲良くなっているという証でもあり、大変尊いものがありますね)
「そんなことないルン」とララは叫ぶ
前編の考察ではカッパードさんのことばかり書いてしまいましたが、「ララの成長した姿」もまた、今回の見所のひとつでした。
カッパードさんから「異なる星の者が理解し合うことなどできはしない!」と言われたとき、最初はひかるさんが「そんなこと...」と否定しようとします。しかし、ひかるさんが最後までいうのを待たずして、ララはさらに強い口調で「そんなことないルン!」と言い返します。
「フン、地球人にでもなったつもりか?」
「ルン?」「異なる星の者が理解し合うことなどできはしない!」
「そんなこと…」「そんなことないルン!」
「最初はわからないことばっかりだったルン。でも! スターたちと一緒にいるうちに、だんだんと分かるようになってきたルン! いま、地球のこと、もっと知りたいルン! だから…だから仮装コンテストも出たいと思ったルン!」
(中略)
「地球で、いろんなことをいっぱい経験したいって思ったルン! いまは、みんなと一緒にいるのが楽しいルン!」
ここでララがひかるさんよりも前に出てきているのがまたいいですよね。ひかるさんの言葉に被せるように言うだけではなく、実際、「画として」もララはひかるさんの前に出てきて、「そんなことないルン!」と言っています(上の画像参照)
また、カッパードさんの「分かり合えない」という主張に対して、ララの主張は、「最初は分からなかったけど、みんなといるうちにだんだん分かってきた。今は地球のことをもっと知りたいし、一緒にいたい」というものです。この、「知りたい」に重点を置いて話をしているところは、とてもスタプリらしいなと思うのです。
ララは地球上においてはマイノリティの存在です。その視点に立つと、「マイノリティとしての自分を受け入れてもらえた」というエピソードを話して、「だから分かり合える」というような話の持っていき方も、作品によってはあり得たと思います。
しかし、スタプリはそういう話の持っていき方はしません。確かにララは地球上ではマイノリティかもしれませんが、宇宙規模の視点にたつと、地球人もまた「宇宙人」であり、マイノリティだとかマジョリティだとか、そういう区分は失われます。スタプリが描こうとしている「分かり合う」は、「マイノリティの価値観を尊重する」というものではなく、「異なる者同士が互いの価値観を認め合う」という「相互理解」です。マイノリティであることは必ずしも問題になるわけではありません。
もしここで「異星人である自分を受け入れてもらえた」という筋の話にしてしまうと、「相互理解」という主題が、「マイノリティの問題」に移ってしまう可能性が生じます。だからこそ、ララの台詞は、「知りたい」「一緒にいたい」という想いが中心となる構成になっていたのではないでしょうか。
ララ「地球のUMAについて調べてるルン(※1)」
プルンス「本でプルンスか?」
ララ「ひかるに借りたルン」
プルンス「アナログでプルンスな~。AIに聞けば何でも教えてくれるでプルンス」
ララ「ルン。でも、自分で調べてみたかったルン。…ルン!これがいいルン!わたし、これにするルン!」
また、ララが地球のUMAについて、「ひかるさんから借りた本で調べていた」というのも最高の一言ですね。当初、あれだけ「効率的」であることに拘っていたララを思い返すと涙を枯らしそうな勢いですし(スタプリ3話など)、日本語が読めなくて漫画を逆さまにしていた頃を思い返すとやっぱりその努力に涙が枯渇します(スタプリ18話)
蛇足ですが、ララは「AIより本の方がいいルン」というような、「地球の文化の方が優れている」というような言い方はしません。AIにはAIのいいところが、本には本のいいいところがあると、それぞれの文化を尊重しているのです。
※1 「UMA」の表紙に描かれているのはイエティだと思われます。
ひかララが尊い
カルノリ「じゃあUMAっぽくよろしく36!」
一同「チーム、UMA!」
最後の集合写真のひかララがまたいいですね。
カルノリ君がUMAっぽいポーズでよろしくと言って、みんなが「ガオー」みたいなUMAポーズをしています。そしてララは何をしているかというと、「ガオー」はせずに、ララはひかるさんに寄り添っています。
うーん…尊い…
…と最初は思っていたんですが、よくよく見てみると、ララのこのポーズは「ツチノコ」のポーズですね(3回目の視聴でようやく気付きました)
ララはにょろにょろしつつ、ひかるさんに寄り添っているわけですね。
それはそれで尊い…
(あといちばん左側の二列目の女の子、最前列の女の子の肩に手をのせているところにそこはかとない百合を感じてしまいました。申し訳ございませんでした)
スタプリ37話の感想考察(後編)
- プルンスがイケメン
- ひかさくが尊い
- ユニは本当の姿になりたいと思っている
- えれまどが尊い
- 「そんなことないルン」が熱い
- ひかララが尊い
スタプリ37話の感想考察(前編)です。カッパードさんのことしか書いていません。
あと今回、ドーナツ屋のお姉さんが久々に登場していましたね。ちょっと嬉しかったです。(ひかるさんが友達(ララ)を連れているのを見て喜んでいた人です)
スタプリ37話、カッパードさんの過去話はめちゃくちゃエグイんですが、「仮装コンテスト」というスーパー明るいイベントをぶつけることで、エピソード全体としては重苦しくなりすぎないように工夫されていて、さすがだなと思います。
(逆に、仮装コンテストという明るいイベントとのコントラストとして、カッパードさんのトラウマがよりエグイものとして浮かび上がるようにもなっているとも言えますが、いずれにしても「出だし」と「オチ」は明るい描写で終わっており、それがクッションの役割を果たしていたと思います)
次回はアイワーンちゃん回ということで、私は生き延びれないかもしれません…。
以上、スター☆トゥインクルプリキュア37話の感想考察(後編)でした。
長々と読んでいただきありがとうございました。