スター☆トゥインクルプリキュア40話の考察(後編)です。
- 香久矢まどかは迷わない:5話との対比
- 歪んだイマジネーションが消える時:固有の想いが輝く
- ララはもう「大人」だと言わない
- 再考:トゥインクルイマジネーションとは何か?
- 「2年3組の宇宙人」は「異星人」ではない
- 描こう、わたしだけのイマジネーション
- 追記:そして、ララは「下校」する
- スタプリ40話の感想考察(後編)
香久矢まどかは迷わない:5話との対比
ララ「ルン? ひかる、みんなの前で変身したら…」
ひかる「それでもいい! だって、わたしはララの友達だから!」
ここでララが驚きながらひかるさんの方を見るわけですが、ララとしては、プリキュアであることを明かすのは自分だけにするつもりだったことがうかがえます。宇宙人とバレてしまったので、プリキュアであることがバレてもダメージは少ないと考えたのでしょう。
しかし、当然のことのように、ひかるさんはララを一人にしたりはしません。
他のメンバーたちも次々にやって来て変身するわけですが、ここでまどかさんが何の躊躇いもなく、みんなの前でプリキュアに変身するのがまた最高でした。
まどか「ララ!」
姫ノ城「香久矢先輩?」
まどか「大丈夫ですか? わたくしも!」
まどかさんは、「香久矢家の規則」を破り、自分がプリキュアであることを父・冬貴さんに嘘をついてまで隠しています(スタプリ5話)。「プリキュアであることがバレたらまずい」のはみんなにとって同様ですが、まどかさんのそれは重みが違うのです。
しかし、まどかさんは迷いの言葉など一切なく、「わたくしも」とすぐさま言います。みんなのピンチを守るべく、変身するのは当然なのだと言わんばかりに。
カッコよすぎる…!!
ちょっと時系列を飛ばしますが、すべてが終わったあとのまどかさんもまた最高の高でした。冬貴さんが目を覚まして、ララ(異星人)によって意識を奪われていたのではないか、と疑いの目を向けたときのシーンです。
まどか「ララは、わたくしたちの友人です!」
お父様から「騒ぎがあったようだが何か知ってるか」と聞かれて、悩みに悩んだ末に「いいえ…」と答えていたまどかさん(5話)。そのまどかさんが、今回、力強く、お父様に言うんですよ。ララの事を疑うお父様を、真っすぐに見つめながら言うんですよ。「ララは、わたくしたちの友人です!」と。
カッコよすぎる…!!(二度目)
自分がどうしたいのか、ということを考え続けてきたまどかさんは、もうその答えを見つけかけているのかもしれません。
ちなみに、フワープによって連れてこられて困惑していたえれなさんに対して、まどかさんがした対応も尊かったですね。まどかさんがえれなさんにどういう説明をしたかというと、アイコンタクトで「んっ」言っただけです。しかし、たったそれだけで、えれなさんは「なるほど」とすべてを理解します。えれなさんとまどかさんのあいだに、もはや言葉など必要ないのです。
えれな「この状況…」
ユニ「どういうことニャン?」
まどか「……んっ」
えれな「なるほど…やるしかないってわけね」
歪んだイマジネーションが消える時:固有の想いが輝く
カッパード「分からんな。なぜおまえが地球人を守る?」
ララ「確かに、わたしは、サマーン星人ルン!」
カッパード「ん?」
ララ「でも、わたしは…わたしは2年3組羽衣ララルン!」
カルノリ「ララルン…」
女生徒「ルンちゃん…」
姫ノ城「羽衣さん…」
みんなのことを守るために滑り込みながら登場するララの勇姿があまりにもカッコよすぎるのはいったん横に置き、ここでクラスメイトたちが思い思いの呼称でララの名前を呼んでいるところがもう最高でした。
ララルン。ルンちゃん。羽衣さん。
カルノリや姫ノ城さんたちは、それぞれが「固有の想い」を込めてララのことを呼んでいます。彼らは、「2年3組のクラスメイト」という画一的な理由をもってララのことを認めているわけではありません。カルノリがララに寄せる「想い」は、カルノリだけのものであり、姫ノ城さんや他の生徒にとってもそれは同様です。
歪んだイマジネーションが消えたのは、ララに対する「固有の想い」が、キラキラと輝き出したからなのです。
カルノリ「がんばれ! がんばれララルン!」
女生徒「ルンちゃん!」
姫ノ城「負けてはならなくてよ!」カッパード「歪んだイマジネーションが…すべて消えているだと?」
※カルノリを「軸」として動いていた35話の考察です。
ララはもう「大人」だと言わない
カッパード「くっ…なぜそこまでして異星人を守る?」
ララ「わたしは大人ルン。自分にそう言い聞かせてきたルン。家族やサマーンのみんなに認められたくて…でも! 認めてくれたルン!」ララ「みんなは、ありのままのわたしを…サマーン星人のわたし、プリキュアのわたし、地球人のわたし…わたしは、わたしのままでいていいんだって、みんなが、認めてくれたルン!」
言葉は魔法ですが、時には呪詛にもなりえます。「わたしは大人ルン」と言い続けてきたララは、自らを縛るその呪いによって長いあいだ苦しんできました。
ここで思い出していただきたいのは、惑星サマーン編(29~30話)です。
ララの成長物語は、ここでひとつの決着を見せています。というのも、ララの家族は、ララが成長していることに気付き、ララのことを確かに認めていたからです。
30話と40話、題材としては似ているように見えるかもしれませんが、決定的に異なることがあります。それは、30話で認められたのが「成長したララ」≒「大人としてのララ」であるのに対し、40話で認められたのは「ありのままのララ」であるという点です。
40話におけるララは、「成長したから」認められたわけではありません。ましてや、「プリキュアだから」認められたわけでもありません。では何が認められたかというと、ララの持つ「ララらしさ」が認められたわけです。そして何より重要なことは、ララ自身が「わたしらしさ」を認めることができた、という点です。
ひかる「ララちゃんは、ララちゃんだよ」
このときの回想で用いられたカットは、序盤中の序盤、スタプリ2話です。ララの物語はひかるさんと出会って間もないころから動き出していたわけですが、それから38話の歳月をかけて、ついにひとつの着地を見せたと言えます。
※スタプリ1~2話の考察です。信じられますか。このころは2話分で3000字です(今は1話で10000字以上)。あと、昔の記事を読み返していると背中がむずむずしますね。何で昔の文章ってこんなに恥ずかしいんでしょう。
再考:トゥインクルイマジネーションとは何か?
ララ「わたしは、みんなを守りたいルン! みんなと一緒にいたいルン! わたしは、わたしは…わたしらしくいたいルン!」
過去の考察で、トゥインクルイマジネーションは「分かり合いたいという想い」が具現化したものだと書きましたが、40話を見る限りだと、それはトゥインクルイマジネーションを小さく捉えすぎていると気づきました。
40話においても、「分かり合いたいという想い」がまったく関係ない話だったわけではありません。しかし、もし「分かり合いたいという想い」がトゥインクルイマジネーションであるなら、「わたしはわたしらしくいたいルン!」と叫んだときに発動するのは少しタイミングが違うように感じます。
では、トゥインクルイマジネーションとはいったい何なのでしょう?
つまるところ、それは「あこがれのわたしを描くこと」であり、「なりたい自分を想い描くこと」ではないかと考えます。
「きらめく星の力で あこがれのわたし描くよ」
(スタプリの変身シーンより)
「イマジネーションの輝き! なりたい自分に!」
(5人の合体技 プリキュア・スタートゥインクル・イマジネーションより)
変身バンクでは「憧れのわたし」を描き、必殺技の際には「なりたい自分に」と言ってきたララは、「わたしはわたしらしくいたい」と叫んだときにトゥインクルイマジネーションが発動しています。つまり、ララにとっては「わたしらしいわたしでいること」が「憧れのわたし」であり、「なりたい自分」だったのです。
では、ユニの場合はどうでしょうか?
ユニのトゥインクルイマジネーションが発動したのは、アイワーンちゃんの苦しみを想像し、アイワーンちゃんのことを許し、過去だけを見るのではなく、みんなと一緒に未来に行きたいのだと叫んだときです。つまり、「みんなと一緒に未来に行くこと」こそが、ユニにとっての「あこがれのわたし」であり、「なりたい自分」だったのです。
ユニ「過去だけを見るんじゃなくて、前に進んでいきたい。あなたと一緒に。自分だけじゃなくて、わたしはみんなと一緒に未来に行きたい!」
※38話の時点で、トゥインクルイマジネーションとは何かについて考察した記事です。プリンセスは惑星レインボーを救わない説についても書いています。
「2年3組の宇宙人」は「異星人」ではない
スタプリ40話は『2年3組の宇宙人』というタイトルがまた最高に良いんですよね。
前半パートでは、「2年3組に宇宙人がいる事がバレてしまった」というネガティブな意味合いを持っていたのに、後半パートになると「ララは2年3組の羽衣ララなんだ」というポジティブな意味に転換するのです。
ところで、タイトルでは「異星人」ではなく「宇宙人」という言葉が使われていますが、それはなぜなのでしょうか?
作中の台詞でも、このふたつの言葉は使い分けられています。
姫ノ城「本当に羽衣さんは…宇宙人なのではなくて!?」
ララ「みんなのことは分かったつもりだったルン。やっぱりわたしはサマーン星人、地球人からしたら異星人ルン」
カッパード「ふっ…なんと醜いイマジネーション。異星人同士が、分かり合えるはずなどない!」
姫ノ城「羽衣さんは…異星人などではありませんわ! わたくしたちのクラスメイトです!」
ララやカッパードさんが「異星人」という言葉を使うのは、自分達の惑星以外にも人がいることが当たり前の世界で生きているためだと考えられますが、それに加えて、「異」という文字からは、「異なる人間」というニュアンスが含まれています。特に上記のララやカッパードさんの台詞からは、「異なる人間だから分かり合えないのだ」というニュアンスが強く感じられます。
対して、「宇宙人」という言葉は、「同じ宇宙にいる人」というニュアンスを持ちます。元々、姫ノ城さんたちは「宇宙人」のことを怖がっていましたが、ララの想いを知り、「ララは異星人ではない」のだと強く主張しました。ここでわざわざ「宇宙人ではない」と言わず、「異星人ではない」と言ったのは、ララと自分たちが「異なる人間ではない」のだという意味を含んでいるわけです。
タイトルにおいても同様です。2年3組にいるのは「異なる人間」である「異星人」ではなく、「同じ宇宙に生きる人間」である「宇宙人」なのです。
※他にサブタイトルが「うまいなあ」と思ったのは、スタプリ25話です。
描こう、わたしだけのイマジネーション
恥ずかしながら、私はスタプリがなぜ「あこがれのわたし」を描き、「なりたい自分に」なるのだと言い続けてきたのか、十分な理解が及んでいませんでした。40話を視聴して、「そういうことだったのか…」とようやく気付きました。まさにパズルのピースがはまったような感覚で、浮かび上がってきた絵の美しさに、愕然としています。
さて、スタプリのピンク・ひかるさんは、物語の当初からずっと、一貫して主張し続けてきたことがあります。それはひかるさんの魅力を表す言葉のひとつであり、スタプリという物語の根底をなす言葉でもあります。
あなたはどう想うの?
ひかるさんは、スタプリは、そう問いかけるのです。
あなたの「あこがれのわたし」はどういう姿なの?
あなたの「なりたい自分」はどういう自分なの?
問われているのはララやユニだけではありません。まどかさんやえれなさん、ひかるさん自身も問われるでしょうし、いずれはノットレイダーたちも問われるのでしょう。そして最後には、テレビの前の子どもたちも問われるのです。
あなたはどう想うの?
スタプリという物語が終わったとき、テレビの前の子どもたちは、どのような「想い」を描くのでしょうか。
スタプリが終わるまで、既に1クールを切りました。残された時間を、惜しみながら、楽しみながら、視聴していきたい所存です。
「 宇宙 ( そら ) に描こう! ワタシだけのイマジネーション!」
出典:スター☆トゥインクルプリキュアのキャッチコピー
追記:そして、ララは「下校」する
当記事のコメント欄にて、mugenさんから素敵な考察を教えて頂いたので追記します。
ララが初登校した13話のラストでは、ひかるさんと二人で手を繋いで「登校」するシーンでしたが、40話のラストはクラスメイトのみんなと触角タッチをしながら「下校」するシーンでした。「2年3組の宇宙人 羽衣ララ」の物語が始まったのは13話でしたが、あれから27話をかけて、ついにひとつの結末に辿り着いたのだと言えます。
13話と40話のラストシーンは、対になっているわけですね。すごい…。
mugenさん、素敵な考察をありがとうございました。
(2019/11/27追記)
スタプリ40話の感想考察(後編)
- 香久矢まどかは迷わない
- 固有の想いが輝いた結果、イマジネーションの歪みは消えた
- ララはもう「大人」だといわない
- トゥインクルイマジネーションは「あこがれのわたし」「なりたい自分」を想い描いたときに輝く
- 「2年3組の宇宙人」は「異星人」ではない
- あなたはどう想うの? とスタプリは問い続ける
40話の考察(前編)です。
スタプリ映画の考察です(ネタバレ有)
まだ観ていない方がいらっしゃれば、是が非でも観に行きましょう。既に1回観た方は、ぜひぜひ2回目を観に行きましょう。2回観た方は(以下エンドレス)
惑星サマーンはディストピアなのか? 惑星サマーン編についての考察です。
いやもう本当に良かったです。正直、視聴し終えた直後は「良かった」という言葉しか思い浮かばず、途方に暮れていました。言葉というのは不自由なもので、どれだけたくさんの言葉を用いても、40話の素晴らしさのほんの一部しか伝えられません。
というわけで、もう一度観ましょう。
録画してなくてもTVerで観れますのでぜひ。
以上、スター☆トゥインクルプリキュア40話の感想考察(後編)でした。
長々と読んでいただきありがとうございました。