スタプリ、素晴らしいですね。
ハグプリからどのような作品に転換していくのかとドキドキしていましたが、今作も今作で面白いです。
キッズアニメとして面白いのは当然として、大人が観ていても非常に示唆に富んだ内容だなと感心せざるを得ません。
スタプリ考察・感想
未知なる存在と手を取り合えるか
今作の最大のテーマはこれでしょう。
未知なる存在と手を取り合えるか?(多様性を受容できるか)ということです。
キュアミルキーこと羽衣ララは宇宙人です。
ララはまさしく、未知なる存在のメタファーなのです。
マジョリティとマイノリティの対比構造の物語ではない
ララという存在は、自分の持っている世界観とは異なる世界観の持ち主、すなわち日本人にとっての外国人であり、健常者にとっての障害者、異性愛者にとって同性愛者であります。
…いいえ。正確には違います。
このように書くことは、あたかもマジョリティ対マイノリティの対比構造があり、マジョリティがマイノリティに対する理解を深める必要があるのだ、という言説に終着してしまいます。*1
確かに、地球における星奈ひかるはマジョリティであり、宇宙人であるララはマイノリティといえるかもしれません。
しかし、それはあくまでも「地球規模で考えたら」の話であり、今作は明らかに宇宙規模の物語となっています。
宇宙規模で考えたとき、星奈ひかるはマジョリティでもなんでもなく、同時に、ララもマイノリティでもなんでもないわけです。
二人のあいだにあるのは、互いに互いが「未知の存在」であるという認識です。
つまり、今昨の根底にあるテーマは、マジョリティ・マイノリティの枠を超えて、単純に「自分とは異なる世界観の持ち主」と手を取り合うことができるか? 「多様性」を受容し合えるか? ということなのです。
恐怖は思考を停止する
第1話にして敵役カッパードが放った言葉が印象的でしたね。
「恐怖は思考を停止する」という言葉には、未知なる存在と遭遇したとき人はどうしたらいいのかという問題について、様々な示唆を含んでいます。
未知なる存在と遭遇したとき、恐怖という感情が沸いたとしましょう。
恐怖は思考を停止させます。
思考が停止した人は、感情的にその恐怖から逃れるべく、攻撃・防御・逃走のいずれかの体勢に入ることでしょう。
当然、こうなれば、手を取り合うことなどできません。
起こるのは、争いか、隔離か、レッテルの貼り付けです。
未知なる存在に恐怖せず興味を抱けるか
一方、主人公の星奈ひかるは違います。
未知なる存在である宇宙人ララと遭遇したとき、彼女は一切の疑念すら持たず、好奇心の赴くまま、無邪気に手を差し伸べるのです。
これが、ひかるのスタンスです。
未知なる存在に対して、恐怖ではなく興味を抱くのです。
思考を停止させるのではなく、対話と理解を試みるのです。
ひかるのこのスタンスはたとえ敵役カッパードに対しても一貫しています。
初めて相対したときも、カッパードに対して恐怖することなく、表情を煌めかせながら話しかけるのです。
もっとも、カッパードが攻撃的な姿勢に入り、現にフワに危害を加えようとしたときには、すぐさま防衛体勢に入ります。
これは、誰に対しても対話を継続せよというわけではなく、攻撃してくる者があれば、まずは自分や仲間を守る必要があるということを示しています。
前作ハグプリでは、いじめ問題などがピックアップされていましたが、明確に自分や仲間を攻撃してくる存在に対してどう対応すべきか? という問題について、プリキュアは考え続けています。
ノットレイダーの名前の由来、幹部がカッパである理由
今回の敵キャラの名前が「ノットレイダー」すなわち「乗っ取るもの」「征服者」のもじりになっているのも、納得です。
ノットレイダーたちは、自分たちにとって未知なる存在=「世界観を共有していない存在」に対して、対話でも受容でも協調でもなく、征服という手段を選んでいるのです。
だからノットレイダーという名前なのです。
幹部がカッパ=「未確認生物」なのは、同じく「未確認生物」であるララたち宇宙人との対比のためです。
カッパードもララたちも、ひかるにとっては同じく未知なる存在です。
しかし、両者の持つ本質は真逆です。
カッパードは、自分の知らない世界を征服しようとしているのに対して。
ララたちは、自分の知らない世界と協調しようとしているからです。
ひかるが迷いなくコスモグミを食べたからララもおにぎりを食べた
第2話にて、ひかるは迷いなく宇宙人の食事であるコスモグミを食べていましたね。
本来、宇宙人の食事なんて、未知なる存在の最もたるものであり、手を伸ばすのは相当の勇気が必要なはずです。
考えてみてください。
日本国内に住む我々が、アマゾン奥地に住む原住民の芋虫食を食べるようなものです。西洋人が、納豆やくさやを食べるようなものです。
どうにしたって勇気がいります。
しかし、ひかるを支配する感情は恐怖ではなく興味であります。
彼女は躊躇なく、コスモグミを食べて「おいしい!」と笑顔で絶賛するのです。
こんな友好的な対応をされたら、ララはどう思うでしょうか?
ひかるの差し出す「石ころのような」謎の地球食・おにぎりを、勇気を出して一口ぐらい食べてみようと思ったはずです。
だからこそ、ララは当初は「いらない」と断っていたおにぎりに手を伸ばし、実際に頬張ったわけです。
「決めつけはよくないよ」という言葉に、心を動かされたのです。
そして「おいしい!」と同じように感動し、ひかるとまたひとつ世界観を共有したわけです。
互いの世界観を理解し共有することで友達になれる
はじめは相手のことについて何も知らないのが普通です。
友達になるということは、互いの世界観を理解し共有していくことであります。
第2話のように、ひかるとララはゆっくりと世界観を共有し合い、理解し合っていき、ゆっくりと確実に友情を育んでいくことでしょう。
キッズアニメ第1話のお手本のような第1話
第1話の構成はまさしくお手本のような構成であり、感動的でありました。
メインターゲットである子ども(3~6歳)の興味を削がないよう、テンポよく、かつ分かりやすく展開が進んでいきます。
主人公は好奇心旺盛な女の子で、同じく世界に対する好奇心に充ち溢れている3~6歳の子どもにとって感情移入のしやすいキャラクターです。
第1話だけでおおよその世界観も理解できる構造。
そして未知との遭遇。
今後の展開はどうなるんだ? という気になる要素をふんだんに詰め込みながら、第2話へ続く引き方。
控えめに言って、完璧じゃないですかね。
しかもメインターゲットのキッズだけではなく、サブターゲットである大人に対しても、リップサービスとばかりに過去作のオマージュをふんだんに使用しています。
(たとえば、ひかるの変身した直後の「私何言っちゃってんの!?」はふたりはプリキュアの台詞からです)
ひとりで思わずスタンディングオベーションしちゃいました。
ポップコーン投げ出しちゃいました。
スタプリ1~2話感想考察まとめ
というわけで、この記事をまとめると下記の通りです。
- スタプリのテーマは「未知なる存在と手を取り合えるか」(多様性の受容)
- 未知なる存在を前にして恐怖せず興味を持つことの大切さ
- スタプリ第1話はキッズアニメ第1話としてのお手本
以上、興奮の赴くままに書き連ねました。
まだまだ書き足りないので、またあとで加筆修正するかもです。(多少の加筆修正をしました)
ちなみにこんな記事も書いてます。よかったらどうぞ。
*1:そもそも、異性愛者にとって同性愛者が未知なる存在であるのと同時に、同性愛者にとっても異性愛者というのは未知なる存在なはずです。つまり、両者にとって相手は未知なる存在なわけです