惑星サマーンはスター☆トゥインクルプリキュアに登場するララの母星です。
この記事は、衝撃をもって迎えられたスタプリ29話の「サマーンショック」を受けて書いたものです。主に惑星サマーンはディストピアなのか? ということについての考察をしています。
スタプリ29話のネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
惑星サマーンを解剖する
座プリ29話、惑星サマーン編を見た視聴者の多くは、そこから「気味の悪さ」「エグさ」「嫌悪感」を感じ取ったのではないかと思います。
要するに、「惑星サマーンはディストピアではないのか?」という疑問です(※)
ここではまず、サマーンの文化はどのようなものなのか、その「明部」と「暗部」を分けて考えつつ、サマーン人にとっての「AI」がどのような存在なのかなどについて考えていきたいと思います。
※ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の反対の概念として、SF作品などでよく使われる言葉です。一見すると秩序の保たれた世界ですが、その代償として、そこで生きる人間たちは「自由」や「尊厳」を失っているというパターンが多いです。
SFや文学作品でいうと『1984年』や『素晴らしい新世界』『ハーモニー』、アニメだと『PSYCHO-PASS』『フレッシュプリキュア』などが例として挙げられます。
サマーンの「明部」
サマーンの「明部」として描かれていたのは次の4つです。
- 歩く必要のない「ホバーボード」
- その人の状態を分析して作る「完全食ゼリー」
- 一生出なくても楽しめる「レクリエーションドーム」
- その人の適性から最善の職業を選んでくれる「AI」
1についてはひかるさんが興味津々で目を輝かせていましたし、2についてはみんなが「美味しい!」と笑顔になっています。3についても、思い悩むララ以外はみんなとても楽しそうに過ごしていました。また、4についても、ひかるさんはそれを聞いたときに「すっごーい!」と感嘆の声を上げています。
前編の考察でも触れたように、メンバーたちはみんなワイワイキャッキャしていて、未知なる文化であるサマーン文化を楽しんだり、興味や関心を寄せていることが分かります。
サマーンの「暗部」
光あるところには影がある、というわけで、サマーンの「暗部」についてまとめます。まずは先ほど挙げた「明部」に対する陰の部分について。
1 サマーン人は家のなかですらホバーボードに乗っています。普通に歩いているのは「ララだけ」で、そのララは「足腰が強い」といわれています。つまり、サマーン人はホバーボードに頼りすぎるあまり「普通に歩き回ったり走り回ったりすることができない」体になっていることが予想されます。
また、足腰が弱いのであれば、ララがしたようにアイスノー星でスケートを楽しむことは難しいでしょう(スタプリ24話)。ホバーボードの使えない環境では、移動することすらままならなず、未知なる世界に行くことは困難なものになるでしょう。サマーン人はホバーボードという利便性の代償に「足腰の強さ」を失い、そうした遊びをしたり未知なる場所に行ったりする「可能性」を失っています。
2 サマーン人が口にするのは「食事でありデザートであり、水分補給でもある」ゼリーだけです(※)。このゼリーはみんなも「美味しい!」と声を上げています。
しかし、ひかるさんたちはこのゼリーの美味しさだけではなく、おにぎりやドーナツなど様々な食べ物の美味しさを知っています。サマーン人は飲み食いをこのゼリーだけで完結しているため、他の食材などを使って美味しい食べ物や飲み物を味わう「可能性」を失っています。
3 ひかるさんたちは「レクリエーションドーム」で夢中になって遊んでいました。しかし、ひかるさんたちはレクリエーションドームだけではなく、他の楽しいことも知っていますし、他の惑星の友達もいます。
ケンネル星人たちと仲良くなったこと、人魚になって海を泳いだこと、マオのライブ会場で熱狂したこと…これらはレクリエーションドームでは決して得ることのできなかった体験でしょう。レクリエーションドームで一生を過ごすサマーン人は、そうした経験を得る「可能性」を失っています。
※ちなみにこのゼリー、名称が明かされておらず、「(トト)食事でありデザートであり…」「(カカ)水分補給でもあるルン」「(ロロ)これ」というふうに呼ばれています。サマーンの食べ物/飲み物はこれしかないため、「ゼリー」「パンケーキ」「ラーメン」といった名前を付ける必要性がなく、ただただ「食事」「水分補給」というふうに呼べばいいのかもしれません。
サマーン人は「可能性」を失った
ここまで考えていくと、サマーン人が文明の代償に何を失っているのかが自ずと分かってきます。
つまり、「可能性」です。
サマーン人たちは「それさえあれば事足りる」「それさえあれば充足した生活を送れる」というものを作りすぎたあまり、「それ」さえあれば他にはもう何もなくてもいい、という生活を送っていることがうかがえます。
「それ」だけに頼り、「それ」だけで満足する生活をしていると、「それ」以外のものには目を向けなくなります。何事も「それ」さえあれば十分なのですから、当然といえば当然です。
あえて「それ」と表現しましたが、「それ」とはもちろん、「マザーAI」のことです。ホバーボードもゼリーもレクリエーションドームも、すべてマザーAI(もしくはマザーと同期したパーソナルAIが)が稼働させているものです。
なお、サマーン文化の紹介として、
- ホバーボード
- ゼリー
- レクリエーションドーム
- 職業の適性判断
の4つが登場したのは、それぞれが、
- 移動
- 食事
- 娯楽
- 仕事
を象徴していることが分かります。
これらは人が生活していくうえで欠かせないものです。これらすべてがAIに委ねられている状況を描くことで、サマーン人とAIがどれだけ密に関わっているか、サマーン人がAIにどれだけ頼り切っているかということが明示されているわけです。
ここまで書いていくと、サマーン文化の暗部がどんどん剥き出しになってきますが、なかでももっとも「エグイ」ものについてはすっ飛ばして書いており、まだ触れていません。
皆さんが思い描いているとおり。
それは、「職業を選んでくれるAI」のことです。
ララの家族は「毒」なのか?
ひかる「みんなお仕事かっちょいい!」
トト「別に、マザーの決定に従っているだけルン」
まどか「お仕事をAIが決めたってことですか?」
カカ「そうルン。その人の性格や能力、特性からマザーが決めてくれるルン」
ひかる「えー! すっごーい!」
トト「ロロはランク1の最高級の調査員。ララはいちばんしたのランク8の調査員ルン」
ララ「オヨ…」
ロロ「僕はランク1ルン。だから、下のララを助けてあげる責任があるルン」
このシーンは相当に「エグイ」シーンでした。
いともたやすく行われるえげつない言動に、私は幾度となく絶命しかけました。
執拗なほど流れるララの悲し気な表情は、視聴者に対して「ララがランク8の調査員の仕事を受け入れていない」ということをまざまざと見せつけてきます。これはもう、「暴力的」といっても過言ではありません。
そして何がエグイかって、ロロたちサマーン人は、まったく、これっぽっちも、欠片も、1ミリも、ほんの少しも、「ララのことを傷付けている」という自覚がないという点です。ララのことを傷付けようだとか、蔑もうだとか、邪険に扱うつもりでこのような発言をしていたのなら、その方がよほど気が楽だったでしょう。
彼らの言葉は、100%の「善意」によって発せられたものです。
それを証拠に、トトやカカ、ロロたちの表情はみな穏やかなものです。誰ひとりとして、ララの人格や存在を否定したりはしません。むしろ、「下のララを助けてあげる責任がある」「ララにはララにあった仕事ある」と、ララのことを励ましてすらいます。
ロロ「でもララは足腰が強いから、宇宙のごみ、デブリ調査は適任ルン」
ひかる「ごみの調査?」
ロロ「AIが選んだルン。ララにはララにあった仕事があるルン。大変な仕事は僕らに任せるルン」
彼らはララに対して、「AIの判断した適性に応じた働き」を期待してて、それ以上の事は元々期待していないというだけです。なぜなら、彼らにとってAIの判断は「絶対的に正しい」からです。
しかし、これをもってロロたちの存在を「毒」だと断罪するのは早計です。
ここは地球人の価値観で考えるのではなく、サマーン人の価値観で考える必要があります。
ロロたちにとって、ララは「できない子」です。しかし、ララは「能力があるのにできない子」なのではなく、「能力がないからできない子」なのです。もともと持っていない能力を発揮しろというのは、翼のない地球人に空を飛べというようなものです。
要するに、翼を持たない地球人が「空を飛ぶのは無理だ」と考えるのと同じように、サマーン人は「AIが適切だと判断した以上の仕事を行うのは無理だ」と考えているわけです。できないと分かっていることを「やれ」ということは残酷です。ロロたちは、ララに対して「できる範囲で頑張れ」と励まし、「できないことは自分たちが助けてあげるよ」と温かく優しい手を差し伸べているわけです。
これは、サマーン人の「優しさ」なのです。
…ここまでで、何かいいたいことがある方はいらっしゃるでしょうか?
たぶん、多くの方はこう思ってるんじゃないでしょうか。
ふざけんなっつーの!
と。
サマーン人には「想像力」がない
なぜ私たちは、サマーン人たちのこうした考え方に強い「反発」と「嫌悪感」を覚えるのでしょう?
逆に考えてみましょう。
なぜサマーン人たちは、こうした考え方をさも当然のように受け入れているのでしょう? 私たち地球人とサマーン人との違いは何なのでしょう?
AIに頼り切っているかどうか、という答えも考えられるでしょう。ただ、私たちもパソコンやスマホといったコンピュータに頼って生きています。現代においては、電車の経路を調べる際、時刻表のハンドブックを読むより、アプリで検索する人の方が大多数です。コンピュータに判断を任せて生活しているという点では、程度の差はありますが、私たちもサマーン人と同じです。
地球人とサマーン人とで、決定的に異なるものは何でしょう?
端的にいうならば、それは「想像力の有無」だと考えます。
マザーAIを手にしたサマーン人は、「想像力」を失いました。
優れた判断能力を持つAIがあれば、物事を自分で考えたりする必要はありません。未知なる存在に出会ったときには、AIを用いて解析すれば事足ります。「こうじゃないか?」「ああじゃないか?」とあれこれ頭を悩ませる必要がなくなったのです。
実際、ララの家族はAIから示された自分の職業を「これでいいのか?」と迷うことなく選び取っています。「他の仕事はできないか?」といったことは考えません。
それだけではありません。カカやトト、ロロたちは、家族であるララが「無限の可能性」を持っていることを想像できていません。また、自分たちの言葉によってララがどれだけ「傷付いている」か、どれだけ「悩んでいるか」、どれだけ「葛藤している」かといったことを、何ひとつ、気付くことができていません。
これらは、「理解の不足」と「想像力の欠如」によるものといえます。
なお、いくらサマーンの価値観があるとはいっても、ロロたちの言葉がララを傷付けているという事実に変わりはありません。
ロロたちがララにとっての「毒」かどうかは、彼らがそのことに気付けるかどうか、気付いたとして、ララと対話するつもりがあるか、自らの非を認めて謝罪するか、自らの価値観をアップデートするつもりがあるか、などにかかっているとも考えます。
結論:惑星サマーンは「ディストピア」なのか?
では、惑星サマーンは、いわゆる「ディストピア」だといえるのでしょうか?
先に結論をいうと、スタプリは惑星サマーンを完全なディストピアとして描くつもりはないと考えます。
その根拠は次の4つです。
- ホバーボードを見たときに見せたひかるさんの「目の輝き」
- ゼリーを食べたときに浮かべたみんなの「笑顔」
- レクリエーションドームで「はしゃぎ回っていた」みんなの姿
- 最適な職業をAIが教えてくれると聞いて「感嘆していた」ひかるさんの声
もし完全なディストピアとして描くつもりなら、ひかるさんたちが心からサマーン文化を楽しむ描写を、こんなに多く挿入するでしょうか?
何より、サマーン文化をディストピアと決めつけ否定する事は、価値観の否定に繋がり、多様性を描いてきたスタプリのテーマとの間で齟齬が生じます。
では、なぜスタプリは惑星サマーンにこうした「ディストピアっぽい要素」を与えたのかというと、それはスタプリが「好感の持てる文化を受容する」ことだけではなく、「嫌悪感を抱く文化を受容する」ことも描こうとしているからだと考えます。
要するに、私たちは試されているのです。
- AIにすべての判断を委ね、想像力を失っているサマーン人たちの文化を受容できるか?
- サマーン文化の「暗部」に嫌悪感を抱くあまり、「明部」に目を向けることを忘れていないか? 相手の文化を悪いものだと「決めつけ」ようとしていないか?
- 相手の価値観を否定し、自分の価値観を押し付けようとしていないか?
- 対話と相互理解によって、互いの文化を受容し合えると思うか?
ということを。
ひかるさんはサマーン文化の明部を純粋に「すっごーい!」「キラやば~!」と受容しました。一方、まどかさんは明部を楽しみながらも、その暗部にも目を向け、ララの胸中を察して心配していました。
価値観の受容とは、その明部にだけ目を向けることではありません。もちろん、暗部にだけ目を向け、それを否定し、自分たちの価値観を押し付けることでもありません。明部だけではなく、時には暗部にも目を向け、対話と相互理解を繰り返していくこと。そうすることで、互いに認め合ったり、仲良くなったり、何らかのアップデートを引き起こしたりすること。
それこそが、スタプリの描こうとしている「受容」だと考えます。
ということで、最初の問いに対する私の答えはこうです。
惑星サマーンはディストピアなのか?
惑星サマーンは「ディストピア」ではない。
そして、ララとひかるさんたちが受容し合えたように、サマーンとプリキュアも受容し合えるはずだと思うのです。
終わりに:サマーンショックを経て
私は29話が大大大好きです。何度か再視聴していますが、見る度に胸が締め付けられるような痛みを覚えています。ララのことを想うと本当に心が痛いんですけど、大好きな話であることには変わりないので、どうしようもないなと諦めています。
スタプリ29話の感想考察(前編)の記事はこちら。スタプリに「魔法つかいはいない」という考察をしています。
スタープリンセスたちは本当にプリキュアの味方なのか? ということについて考察しています。
スタプリ29話の感想考察(後編)については、まだ書いている最中ですので、完成次第アップする予定です。
内容としては、今回や29話(前編)の考察では触れられなかった、
- サマーン人はAIと共生できるのか?
- マザーAIとパーソナルAIが象徴するものとは?
- ララはなぜランク8調査員の仕事を嫌がっているのか?
- 自分をディスる家族のためにララが戦い抜いた理由は?
- ククが「誤った判断」で指名手配をしたのは絶望か希望か
などについて考察する予定です。
→書きました
サマーン編(スタプリ29話~)は非常に多くの示唆に富んだ、挑戦的な物語だといえるでしょう。サマーン編がどのような着地を見せるのか、楽しみでしかたありません。
以上、スター☆トゥインクルプリキュア、惑星サマーンの考察でした。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。