金色の昼下がり

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有害無罪玩具【全力考察 感想 レビュー】弾丸で打ち抜かれるが如き衝撃

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『有害無罪玩具(詩野 うら)』を読了しました。

 

 以前、ネット上で無料公開されているのをたまたま見つけたとき、頭を弾丸で打ち抜かれるような衝撃を受けました。

 それが今回、出版化に至ったと聞き、書き下ろしもあるとのことでさっそく購入しましたが、いやはや、何度読んでも非常に面白いです。

 

 この記事は、『有害無罪玩具』の考察と感想をまとめたものです。

 

※途中まではネタバレなしで、途中からはネタバレありとなっています。

 赤字で警告文を出していますが、ネタバレしたくない人は3-1以降は読まないようにしてください

 

1.『有害無罪玩具』の概要(ネタバレなし)

 道徳と倫理を問い、存在と概念を惑わす「少し不思議」な博物館へようこそ。
 不死で不滅な「金魚の人魚」が巡る、時空間の景色。
 自分だけが「時が停止した真夜中」に行われる遊び。
 亡くなった「あの人」と約束した、千年ぶりの再会。

 ウェブで話題の作品群に描き下ろしを加え、待望の単行本化。

出典:有害無罪玩具 詩野 うら:コミック | KADOKAWA

 

 本作は、下記の4つの短編からなるSF短編集です。

  • 『有害無罪玩具』
  • 『虚数時間の遊び』
  • 『金魚の人魚は人魚の金魚』
  • 『盆に復水 盆に帰らず』

 

2.『有害無罪玩具』の魅力(ネタバレなし)

1.SF初心者からSF上級者まで楽しめる逸品

 どの作品も、ハードSFというわけではなく、少し不思議(SF)的な物語です。

 普段は「SFってなんだか難しそう」と敬遠しているような方でも楽しめるでしょう。

 

 というのも、本書は「SF的な道具」「SF的なガジェット」が多様されているわけですが、いわば「ドラえもん」に登場する「ひみつ道具」のようなものも多く、「難しすぎて理解できない」というものは少ないからです。

(解釈の分かれそうなものはいくつもありますが)

 

2.架空の事象を扱うことで現実の問題を考える

 たとえば、冒頭に登場する「生きてるシャボン玉」。

 この特殊な液は、膜を作ると(シャボン玉にすると)それが神経網となり、動いたり、踊りを覚えたりすることができます。

 

 しかしシャボン玉なので、作っても(誕生しても)すぐに割れてしまう(死ぬ)ので、これは生命の死を楽しむという冒涜的な玩具ではないのか? という批判が生まれた、という設定です。

 

 ワクワクしませんか?

 もちろんそれらは現実には存在しない「架空の道具」であることは自明です。

 しかし、もしその「架空の道具」がしたら?

 と思考実験をしていくと、私たちの現実世界における「生命」「自我」「知性」といったものがそもそも何であるのか、という極めて「現実的な」議論へと展開されていくのです。

 

 これは、SFの面白いところのうちの一つです。

 一見すると逆説的ではありますが、架空の事象を扱うことにより、現実の問題についてより深く考えることができたり、気付いたりすることがあるのです。

 

  そしてこの作者、詩野 うら氏の上手いところは、「もしかしたらそんな世界もあったのかも」と思わせる、物語の説得力・構成力であります。

 

 本作は、SFをあまり読んだことがないという方も楽しく読めると思います。

 逆にSFを読み慣れている人にとっても、ふんだんに使用されているSF的ガジェットには興奮せざるを得ないでしょう。

 

3.全編に漂うそこはかとない切なさ

 今作の見どころのうちの1つは、その「切なさ」であります。

 

 それぞれの作品で登場するSF的ガジェットは異なりますが、全編を通して語られるのは「切なさ」を内包した物語です。

 

 その魅力的な「切なさ」が、本書を単なるSF設定集にとどまらせることなく、より深みのあるヒューマンドラマに仕立てています。

 

3.『有害無罪玩具』考察 感想 「私」という存在の曖昧さ

 この話は、全体を通して「私」という存在の曖昧さについて語られています。

 

 冒頭の「生きてるシャボン玉」のくだりを読んだ私たちは、「生命」「自我」「知性」の曖昧さを否応なしに気付かされます。

  • 「生命」とは何なのか?
  • 「自我」とは何なのか?
  • 「知性」とは何なのか?

 

 この問いに対する答えが提示されることはありません。

 それどころか、追い打ちのように次から次へと「私」を惑わせる有害無罪玩具が登場していきます。

 

 ここからはネタバレありです!

 未読の方はご注意を!

 

1.実際に行われた脳の活動に関する研究(以後ネタバレ含む)

「0.5秒後が見えるメガネ」や「さきどりおえかき」については、「自由意志」とは何であるのかというその曖昧さが描かれています。

 

 たとえば、現実世界においても、下記のような面白い実験があるので紹介します。

 これは、マックス・プランク研究所の研究者がfMRIを利用して行なった、脳の活動に関する研究です。

 

 まず、被験者は、左右のボタンを渡され、どちらを押すか「自由に考えて」押すよう指示されます。

 

 被験者の頭には脳スキャナーが取り付けられており、科学者たちは脳の状況を逐一確認することができるようになっています。

 

 さて、この実験を行ったところ、被験者が自分で「右を押すぞ!」と意識的に決めて実際に押すよりも、脳スキャナーによって7秒も前から右を押すことが予想できたのです。

 

 この実験からは、次の可能性が示されました。

  • 意識的な選択をする7秒も前に、潜在意識が選択を行っている
  • 潜在意識は、自分には意識できない領域のものである

 

 この実験は、「自由意志」とは何なのか?

 という問題について、非常に強い衝撃を与えるものであります。

 

 私たちが普段、「意識的に決めている」よりも、7秒前に、脳が潜在的に決めているという話なのですから。

 

→参照記事 

「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能|WIRED.jp

 

2.すべての人を幸せにする「偽物」は有害なのか?

「万能デザイン人形」「マクガフィン物語」は、「偽物」によって人々を幸せにできる道具です。

 

 これらの道具は、次のようなことを私たちに問いかけます。

 すなわち、「偽物」によってもたらされる「幸せ」は、ユートピアの産物なのか、はたまたディストピアの産物なのか? ということです。

 

 ハクスレーの名作古典SF『すばらしい新世界』では、「ソーマ」と呼ばれるある種の麻薬のような嗜好品が登場します。

 

「ソーマ」は、幸福感と幻覚作用をもたらし、人々のガス抜き、社会秩序の維持に用いられています。

 これだけ読むと単なる麻薬なのですが、「ソーマ」のミソは、「まったく副作用がない」という点にあります。

 

 まったく副作用のない麻薬がもたらすのは、まさしく嘘っぱちの幸福でありますが、幸福を感じるのに、そもそも嘘も真もあるのでしょうか?

 

 みんなが副作用もなく幸福になれるなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか?

 というか、そもそも「幸福」とは何なのでしょうか?

 

「万能デザイン人形」「マクガフィン物語」は、私たちにそのような問いかけをするのです。

 

3.アイデンティティを形成するのは何か?

「ソフトウェアの見せている夢」

「多重世界観測バッジ」

「コピー人格を作る薬」

 

 上記の有害無罪玩具は、アイデンティティを形成するのは何であるのか?

 という疑問を読者にぶつけます。

 

 たとえば、記憶こそがその人のアイデンティティを形成するのだと考えるならば、「ソフトウェアの見せている夢」は立派な1つの人格であり、1人の人間であるといえるでしょう。

 

 押井守の名作映画SF『イノセンス』では、「記憶」こそがアイデンティティを形成するものであると捉えられています。

 

 作中では、記憶を改ざんされたキャラクターが登場します。

 自分の記憶が改ざんされたものだと知ったとき、そのキャラクターはもぬけの殻のような状態になってしまいます。

 そのキャラクターは、アイデンティティを喪失し、まさしく人格としての「死」を迎えたのです。

 

 しかし、実は士郎正宗の原作漫画『攻殻機動隊』では、「記憶」がアイデンティティを形成するというようには描写されておらず、記憶を改ざんされたことを知ったあとも、どこかひょうひょうとしています。

 

 話が逸れました。

「多重世界観測バッジ」「コピー人格を作る薬」は、現代SFの巨匠たるグレッグイーガンの名作SF作品を連想せざるを得ませんでした。

 

「多重世界観測バッジ」はグレッグイーガンの『宇宙消失』です。

 

 『宇宙喪失』は、量子力学的な観点からエヴェレットの多世界解釈を再構築した壮大な名作SFです。

 量子力学というと小難しい感じがしますが、とっつきやすように構成の練られた名作です。

 

「コピー人格を作る薬」については、グレッグイーガンの『プランク・ダイブ』の中にある短編『エキストラ』を思い出しました。

 

『エキストラ』は、とある大富豪が、クローンに脳への移植を繰り返すことで、永遠の命を手に入れようとする…という作品です。

 短い話ながらも、パンチの効いた良作です。

 話が逸れました。

 アイデンティティを形成するのは何であるのか、という問いに対する答えはいまだ出ていません。

 しかしながら、私たちは上記のような作品(フィクション)を通すことで、そうしたハードな問題について考えを巡らせることができます

 

 これこそが、SFの醍醐味であり、SFの面白いところであり、私がSFを愛する理由です。

 

 ところで、このようにして思考を巡らせている「私」という意識は、本当に何なんでしょうね。

 

 そもそも意識って幻想なんじゃないの?

 という話に興味があるなら、下記の動画が面白いかもしれません。

 

 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科

 前野隆司教授による講義「システム生命論」の一部が、公式で配信されています。

 

参考サイト 

→意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説 - YouTube

 

 その日の朝のいつもの景色は

 なんだかいつもと違って見えたけれども
 それが色あせてみるようになっているのか

 美しく見えるようになっているのか
 まだ今の自分には 答えは出せずにいる

出典:『有害無罪玩具』

 

4.『盆に復水 盆に返らず』考察 感想 切なくも美しきSF百合

『盆に復水 盆に返らず』(「盆に覆水 盆に返らず」ではありません)は、単行本化にあたって書き下ろされた作品です。

 

 いやあ、見事なSF百合漫画でした。

 

 読み終えたときには、悲しいのか切ないのか、嬉しいのか喜ばしいのか、自分でも整理のつかない、わけの分からない感情に襲われました

 

 死んでしまった「あの人」は、2階で「死に水」を取ってほしいと「私」にいいました。

 2階だと、いちいち脚立を必要とする場面も出たりして、大変なことを承知のうえで。

 

 なぜ「あの人」は「私」に、2階で「死に水」を取るようにお願いしたのでしょうか?

 それの答えは、下記の描写にヒントがあります。

 脚立に乗ったまま

 私は最近のことを
 水の あの人に話す

 

 その景色の高さは

 二人で話をした

 あの窓くらいの高さにある

出典:『盆に復水 盆に返らず』

 

 つまりですね、「あの人」は、「私」と一緒に過ごしてきた日常が何よりも大好きだったんです。

「2人で話をした あの窓くらいの高さ」から見える風景が、大好きだったんです。

 

 だからこそ、いつまでもその風景を、その記憶を、「私」との想い出を大事に、大事に、大事にしたかったから、2階で取るようにお願いしたんです。

 

 2階で「死に水」を取ってくれたからこそ、「あの人」は1000年だって「私」を待つことができたわけです。

 

 ラストシーンの描写も秀逸です。

 広大な平地に梯子をかけ、言語を通じることができないにもかかわらず、あの日と同じように遊ぶ二人。

 クラクションをならす車はいないので

 いつもよりずっと遊んでいられるところは

 ちょっとちがうけれど

出典:『盆に復水 盆に返らず』 

 

 まさしく、「あの人」の1000年越しの願いが叶った瞬間です。

「私」と一緒に、また「あの大好きな景色」を見るという奇跡が叶った瞬間です。

 

 これが泣かずしてどうしろというんでしょう?

 まさしく弾丸で打ち抜かれた瞬間でした。

 私は死にました。

 

 最高の百合SFでした。

 本当にありがとうございました。

 

5.まとめ

 この記事を要約すると、下記の通りです。

  • 『有害無罪玩具』は「私」という存在のあやふやさについて考える物語
  • 『盆に復水 盆に返らず』は最高の百合SF

  • 本作はSF初心者も経験者もみんな楽しめるベストSF漫画

 

 以上、『有害無罪玩具』はめちゃくちゃ面白いSF漫画だったよ、という話でした。

 他にも、アニメ・書籍・映画等の考察をしています。

 よかったらどうぞ。

kirinnekokun.hatenadiary.jp