金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

タコピーとプリキュア 子どものエンパワーメントの視点から【感想・考察】

 タコピーの原罪、単行本になってから上下巻を買って読んだのですが面白かったです。百合としても味がありますし、表現方法とは裏腹に扱っているテーマはプリキュア的だなと思いました。

 

 そう思ったポイントは「子どものエンパワーメント」です。「女の子だって暴れたい!」から始まったプリキュアは、シリーズによってその時代に生きる女の子たち(子どもたち)をエンパワーメントするための作品作りがされており、そのことは過去のプロデューサーのインタビューなどからも伺えます。

 

これまでのプリキュアでもガールズエンパワーメントの理念が根底に流れており、そのひとつとして多様な女の子像を描いてきました。

引用『スター☆トゥインクルプリキュア』から考える、アニメで多様性を描く意義。【メディアとダイバーシティ Vol.1】 | Vogue Japan

 

 タコピーも子どものエンパワーメントという視点で読むと、凄惨な表現の中にはいくつかのメッセージが込められていることに気付きます。

 

 以下、ネタバレにつき未読の方はご注意ください。

 

 

 まず、タコピーに登場する主人公たち(小学生)はそれぞれ何かしらの罪を犯しています。イジメ。騙し。暴力。誘拐。殺人。彼女たちは自らの「ハッピー」を得るために犯罪を犯すわけですが、そうした非倫理的な非違行為の果てに「ハッピー」は訪れません。いくら魔法のようなハッピー道具を使っても同じです。タコピーの物語ではそれが一貫としており、「自分が辛い想いをしているからと言って他の人にそれをぶつけても問題は解決しない」「誤った手段からハッピーな結果は生まれない」といったメッセージ性を感じられます。

 

 プリキュアとタコピーの違うところは、プリキュアは全体的に明るい話である一方で、タコピーは全体的に暗い話だということです。表現方法についても、タコピーはかなり凄惨です。

 しかし両者は次の点において共通しています。つまり、作中で描かれていたように悩み、苦しみ、葛藤を抱いている子どもたちが、この現実世界には確かにいるということです。(※1)

 

※1 タコピーはフィクションですが、タコピーで描かれているような、あるいはそれ以上に凄惨な家庭環境は現実に確かに存在します。作中の途中で舞台が2022年に移り、新型コロナウイルス流行に似たものが示唆されていることなども、現実との接続性を強めるための「仕掛け」と考えられるかもしれません。

 

 タコピーの物語には、魔法のような「ハッピー道具」が登場しますが、最終的に主人公たちを「ハッピー」な結末に導いたのはそうした魔法のようなアイテムではなく、「話をすること」でした。

 

 最終話ではタコピーらしき語り手が読者に向かって語るようなメタ的な演出もありましたが、タコピーは過酷な家庭環境に生きる子どもたちに、フィクションの力を使って「話をする」ことの大切さを説くお話と捉えることもできるのではないでしょうか。

 

 もちろん「話をする」ことだけで機能不全家庭が一般的な家庭に戻るわけではないでしょう。タコピーにおける主人公たちの家庭の親もけっきょくは「ヤバい」まま物語は終わりました。親たちの「ヤバい部分」がいわゆる「正常」な状態に戻ることはありません。

 

 それを見て、「ヤバい親がヤバいままなら何も解決してないじゃないか」という声もあるかもしれませんが、子どもが子どもの立場で「機能不全家庭を正常に戻す」ことは現実的に困難ですし、そもそもそれは子どもの仕事ではありません(※2)

 

※2 それは本来大人たちの責務であり、社会全体で解決すべきことのはずです。なお最終話ではタコピーが大人びた口調で主人公たち(子どもたち)に「してあげられないことばかりだ」と独白していますが、これは「君たち(子どもたち)」に対して何もしてあげられない大人たちの無力さの代弁であると同時に、「君たち(子どもたち)」に対する大人(作者)の祈りのようにも感じられます。

 

 また家庭が機能不全に陥るのは様々な問題が絡んだことによる結果であり、山積する問題を一足飛びに解決する「魔法のような道具」は残念ながらこの世界には存在しません。

 

 しかしそれでも主人公たちは、最終話において、「話をすること」で家庭以外にも自分たちの居場所を見つけ、「ヤバい親」と適切な距離感を保ちながら強く生きていることが語られていました。

 

「うち今日ママやばそーだからケーキ買って帰る」

「まりなちゃんのママいっつもやばいじゃん…」

「誰のせいだと思ってんだよ。お前んちよりはマシ」

 

タイザン5著『タコピーの原罪(下)』最終話より引用

 

 プリキュアを見て勇気付けられる子どもがいるように、タコピーを読んで勇気付けられる子どもがいたとしたら。

 そんなことを思いながら、タコピーを読んだのでした。

 

www.konjikiblog.com

www.konjikiblog.com

www.konjikiblog.com