金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

ヒーリングっど♥プリキュア 42話 感想 ダルイゼンを助けなかったグレースの選択

 ヒープリ42話、素晴らしかったですね。

 ヒープリはやっぱりプリキュアとヒーリングアニマル(人と人じゃない存在)の関係性を大事にしてる作品という印象です。陸上か旅館か悩んだちゆを助けたのはペギタンだったし、自己嫌悪するひなたを救ってくれたのはニャトランだったし、ダルイゼンへの苦悩を抱えるのどかを支えてくれたのはラビリンでした。

 

  あまりにもよかったので感想とちょっとした考察みたいなものを書き殴ってしまいました。ネタバレありですのでご注意ください。

 

追記

→下記リンクは最終話を経て書いた記事です。ヒープリが何を描いていたのか一年を振り返ったもので、42話時点と最終話を見終えたうえでの私自身の解釈は変わっています。が、42話のときはこう考えていた、という意味で当記事は編集せず残しておきます。

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ダルイゼンを助けなかったグレースの選択

 今回グレースはダルイゼンを「助けない」という選択を下しましたが、1話~42話にかけての描写を見る限り、ビョーゲンズに対するプリキュアの態度は一貫していると思います。バテテモーダ、ネブソック、ケダリー…テラビョーゲンとなった彼らは一人残らず容赦なく浄化されていますし、今回も結果的にダルイゼンの浄化には失敗しましたが(その後キングビョーゲンに吸収された)、少なくともグレースたちは彼を浄化しようとして必殺技を放っていました。ヒープリにおいて、ビョーゲンズは基本的に「浄化すべき」ものであり、そこに共存可能性を探ろうとする動きは見られません。

 

キングビョーゲンの主張は正しい?

 さて、そんなプリキュアをキングビョーゲンは嘲笑います。地球のみんなを守ると言いながら、ダルイゼンを守らなかったのは誰だ?お前らの言う「みんな」には、ビョーゲンズは含まれないのか?キングビョーゲンの意見には、一見すると一理あるようにも見えるかもしれません。が、グレースたちはその言い分を一蹴します。

 

 でもよく考えてみたら当たり前のことなんですよね。だってビョーゲンズを野放しにしてしまえば、地球が蝕まれ最終的には滅んでしまいます。グレースたちは地球を滅ぼしてしまう存在を守る義理も義務もありません。むしろなぜ「助けなければならない」なんて義理があると思ったのでしょう? プリキュアの守りたい「みんな」の中に、ビョーゲンズは含まれません。自分らのやってきたことを顧みることもせず、人の優しさに付け込もうしないでください。私の心も体も私のものです。以上!…というのが今回のプリキュア側の主張であり、それは極めて当然かつ妥当な主張だと思います。だってヒープリにおけるプリキュアは別にすべての者を助けなければならないと定められた正義のミカタではないのですから。

 

ビョーゲンズってけっきょく何?

 ただビョーゲンズをひとつの生命として考えると、ビョーゲンズにも同情してしまう要素がないわけではありません。ダルイゼンは最期に「オレの心と体だってオレのものだ…」みたいな台詞を言いながら消えていきます。実際彼は彼で「生きている」わけで、それをプリキュアの都合で浄化して消してしまうのはどうなの? と思う人もいるんじゃないかなと思います。

 

 が、ビョーゲンズは設定上「地球を蝕む存在」であり、本質的に地球の他の生命が仲良く共存することが(現時点では)不可能な存在です。彼らビョーゲンズは「人類の敵」ではなく、「地球の敵」なのです。ここをはき違えてしまうと、議論がズレてしまうように思います。

 

 たとえば、農作物を荒らす芋虫などの害虫、ヌートリアなどの特定外来生物の例で考えてみましょう。害虫も特定外来生物も、人の都合で「有害」として指定された存在に過ぎません。彼らは確かに「人間の敵」かもしれませんが、彼らを処分していくのはいわば「人間の都合」でしかありません。

 

(しかも特定外来生物に至っては、人が勝手に持ち込んだせいでそうなった存在です。とはいえ現環境に悪影響を及ぼしかねない面もあるため、やっぱり私たちは自分達の業の深さを反省しつつ駆除するしかありません)

 

 一方、ビョーゲンズは「人の都合で有害として扱っている」存在ではなく、「地球(と地球上に生きるすべての存在)から見て有害」な存在です。つまりビョーゲンズとの戦いを選択しているのは「人」だけではなく、「地球そのもの」であり、まさしくビョーゲンズは「地球を蝕む病原菌」であるわけです。

 

ビョーゲンズも生きるために蝕んでるだけでは?

 なお、ビョーゲンズがしている蝕み行為を、野生生物の生存競争と同じように見ることもできなくはないかもしれません。確かに人間を含め多くの動植物は他の生物の命をいただくことで生きており、それは地球上のほとんどあらゆる生命に共通する生存のための不可欠な活動です。その理屈でいけば、「ビョーゲンズのやっていることも生命を維持するための活動にすぎない」と彼らを弁護することもできるかもしれません。

 

 が、ここで忘れてはならないことがあります。

 それは、人間を含め多くの動植物は「本質的に地球を蝕む存在」ではないということです。さっきと同様の話になりますが、ビョーゲンズはその存在自体が(現時点では)「地球とは相容れない存在」であり、その点が両者における決定的な差異です。

 

 ビョーゲンズの現在の生き方は地球と相容れないからこそ、地球はビョーゲンズと戦っているわけで、地球上で生きている人間やヒーリングアニマルたちもビョーゲンズと戦っているわけです。

 

(逆に言えば、私たち人間も「本質的に地球を蝕む存在だ」と地球さんから判断されればビョーゲンズと同じ立場になるかもしれません。実際環境問題を引き起こしているので、私達も反省しなければならない点があるのは確かです…)

 

寛容のパラドックス

 ちょっと本題から逸れますが、ビョーゲンズの存在を許すべきかという議論は「多様性を尊重するなら多様性を認めないという価値観も尊重すべきか」という話と似ているかもしれないな、なんてことを考えました。(※1)

 

※1 たとえばスタプリにおいても「多様な価値観」がテーマのひとつになっており、どのような価値観や文化もバッサリ否定することはありませんでしたが、唯一、「イマジネーションを否定する」という価値観については否定していました。

 

 多様性を否定する価値観を肯定すると結果的に多様性が否定されてしまうので、多様性を尊重する場合にはどうしても「多様性の否定」を否定する必要が生じます。

 

 で、実はこれ、古くからある議論のひとつで、カール・ポパーが1945年に発表した「寛容のパラドックス(paradox of tolerance)」と呼ばれているものです。カール・ポパーは、不寛容に対して無制限に寛容になると、寛容の消失を招くため、不寛容には不寛容でなければならないと説いています。(※2)

 

※2Wikipedia情報です。孫引きですみません。

寛容のパラドックス - Wikipedia

 

 ビョーゲンズも同じで、もしグレースの「助けたい気持ち」が無制限であるなら、その中に他者を脅かす存在であるビョーゲンズも含まれてしまいます。が、もちろんグレースの「助けたい気持ち」は無制限なものではないですし、ましてや自分の身や心を犠牲にしてまで危害を加えようとする相手を助けなければならない道理はなかったため、ダルイゼンは助けられずに終わったのでした。

 

そうは言ってもビョーゲンズちょっとかわいそう…?

 でもビョーゲンズ、そうは言ってもちょっとかわいそうなところもあるよね。何とか生存してくれないかな。そう思う方も当然ながらいると思います。実際、ビョーゲンズはただ倒されるだけの存在としては愛嬌があったり憎もうにも憎みきれない描写があったりします。私もグアイワル先輩が消えて悲しいですし、いまだにバテテモーダのことは忘れていませんし、シンドイーネさんもダルイゼンもキャラクターとしては大好きです。

 

 この先、グアイワル先輩やダルイゼンの復活、シンドイーネ様の生存が実現するかどうかは、彼らが自己改変をするかにかかっているんじゃないかなと思います。

 

 プリキュアは今まさに大切なものを奪おうとする存在に対しては厳しく対処しますが、過去に過ちを犯しても改心したり、改心しようとしている存在には優しく手を伸ばしてくれることが多いです。

 

 もちろん改心したなら必ず許さなければならないという決まりはどこにもありませし、それが当然なわけでもないですが、グレースがダルイゼンに「あなたを助けたらどうなるの!?(また地球を蝕むの!?)」と問いかけたり、ダルイゼンが死に際に「オレの心と体もオレのものだ…」みたいなことを言っていたシーンがあったり、そして何よりダルイゼンがその場で浄化されるのではなく浄化を逃れてキングビョーゲンに吸収される展開になったことなどを総合的に見ると、今回の話で「禊」を終えたダルイゼンが、次回以降で心を改め、プリキュアを助ける存在として復活する…なんて展開もなくはないんじゃないかな、と思います。

 

 もしダルイゼンたちが復活してキングビョーゲンを倒す手助けをしてくれたなら、グレースは彼らを許すでしょうか? 許すにはいたらなくても、浄化はしないでいてくれるでしょうか? それとも…?

 

 そんな妄想をしながら、ラストスパートを楽しんでいきたいと思います。

 

追記

→最終話を見終えたうえでの振り返り記事です。42話時点とは考え方や解釈が変わっています。

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