金色の昼下がり

夫婦子持ちのFP2級がお金やプリキュアについて割と全力で考察するブログ

『少女庭国』矢部 嵩  感想・考察【新たなる人類史、あるいは箱庭の百合】

 現代の奇書という触れ込みに興味を抱いて読みました。

 

 内容としては、簡単に言うと、誰かを殺さないと脱出できない部屋に閉じ込められた少女たちの話です。

 ありがちなエンタメ小説であれば、極限状態におかれた人間の心理や葛藤に焦点を充てたものになるでしょうが、本書は違います。メインテーマは他にあります。何か。

 

 それは、新たなる人類史です。

 無限に続く空間と、無限に存在する少女たちを追った架空の歴史書です。

 

〈以下、ネタバレ〉

 私たちの生活においてはあまり縁のない無限の概念が、本書ではさも当然のものとして存在しています。物語内の少女たちにとっては、無限は生活の一部となっているわけです。少女たちは、無限の実在によって生き永らえることができるができるものの、それゆえに試験をクリアする以外には決して脱出できないというジレンマを抱え生活をしています。

 

 無限という概念が世界観を複雑にしていますが、それ以外の点については、私たち有限の世界に生きる住人と何ら変わりありません。

 

 人肉を食したり、糞尿を飲んだり、殺し合いをしたりと一見するとスプラッタ的な感じもありますが、猟奇的かと問われると決してそうではありません。

 少女たちは生きるために必要なことをしているだけだからです。

 

 言うなれば、他の動植物を犠牲の上に私たちの生活が成り立っていることと本質的には何ら違いはありません。サラダを食べ、魚を捌き、肉を焼くことと同じなのです。サラダもなく、魚もなく、肉も、水もなく、あるのが少女だけとなれば、人肉を食い、糞尿を飲む以外に生きる方法がないのは自明です。仙人でもない限り。

 

 そんな世界で少女たちはどのような生活を営むのか。あるいは、営まないのか。

 本書は、それを俯瞰しながら記した観察記録です。

 

 また、開拓民と呼ばれる少女たちが過去方向へと進んだとき、過去に死んだ少女たちの残した文化や技術、遺物を「現在の少女たち」が継承することができます。

 

 継承に継承を繰り返すことで、技術や思想が少しずつ発展していく様は、石器時代から現代、未来へと続いていく私たちホモサピエンスの歴史と全く同じです。

 王国の誕生や奴隷制の開発、抗争による崩壊、そして再興…どれも歴史の授業で習ったものばかりです。

 

 つまり、本書は無限に続く部屋と無限に存在する少女たちの世界における、壮大な観察記録であり、歴史書であり、人類史であるわけです。

 

 そう考えると、少女たちが脱出した後のことが書かれていないのは当然と言えば当然かもしれません。

 本書は、この世界における人類史を記したものであるので、この世界の外のことは書く必要性がないからです。

 

 ちなみに、私がいちばん好きな場面は、いちばん最後の少女の記録です。

 その記録は中断されてしまっています。誰も死ぬことなく、脱出することなく、記録が終わっているのです。それまで観察者を感心させ楽しませてきた人食も開拓もなく、脱出するための工夫や努力もありません。

 そんなことはどうでもいいとばかりに、ただただ、繊細な少女二人が話している途中で、終わりになります。

 

 その世界は、間違いなく、その二人だけのものでした。

 

 観察者である私たちを全く無視し、二人だけの世界に入り浸るその百合的な空間は、まさしく本当の少女庭国と言えるのかもしれません。

 

~補遺~

 本書を読んでボルヘスの『バベルの図書館』を思い出しました。

 バベルの図書館には無限の本が所蔵されています。無限に本があるということは、過去に起きたあらゆる出来事を正確に網羅した歴史書もあれば、未来に起きるあらゆる出来事を正確に記した予言書もあるということです。

 

 少女庭国における世界も、少女たちの残した遺物とその組み合わせが無限に存在するので、確率が0.0000000001%でも起こりえる事象も必ず起きると言えます。例えば、過去方向の部屋のドアを壊すと、現代日本と全く同じような世界が広がっていた(ただし少女たちは皆死んでいる)…という場面もあり得る。かもしれません。

 

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