この記事はスター☆トゥインクルプリキュア46話の視聴をした時点での考察です。46話のネタバレを含みますのでご注意ください。
- ダークネストのモチーフは?
- イマジネーションという名の「禁断の果実」
- 旧約聖書とダークネスト(へびつかい座)
- 「蛇」は人間に「イマジネーション」を与えた
- 終わりに:プリンセスが人々に「干渉しない」理由
ダークネストのモチーフは?
ダークネスト様のモチーフとして私が思いついたのは、次の3つです。
- へびつかい座 『ギリシャ神話』より
- 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)『古事記』『日本書記』より
- サタン/悪魔 『旧約聖書』『新約聖書』より
この記事は、3に焦点を当てて考察したものです。
イマジネーションという名の「禁断の果実」
ダークネスト「毒をもって毒を制す。イマジネーションの力にはイマジネーションの力を」
ダークネスト様は「歪んだイマジネーション」をもって絶大なる力を発揮していましたが、イマジネーションを「毒」として認識していることが上記の台詞からはうかがい知れます。
また、ダークネスト様…もとい、へびつかい座さんは、こうも言っています。
へびつかい座「我はやつらとともにこの宇宙を造った…」(中略)「だが、忌々しき想像力がはびこるこの宇宙は完全なる失敗作、よって、すべて消し去る!」
忌々しき想像力。
へびつかい座さんはなぜ「イマジネーション」を悪いものとして捉えているのでしょうか? イマジネーションを描くことの、いったい何が悪いのでしょう?
そのヒントは、旧約聖書にありました。
旧約聖書とダークネスト(へびつかい座)
※以下、駒澤大学の落合和昭氏の論文『創世記における「命の木」と「善悪を知る」木』より引用させていただいてます。
ダークネスト様が旧約聖書、アダムとエバ(イブ)の話における「蛇=悪魔=サタン」をモチーフにしているのでは? という考察を過去にしていましたが、その旧約聖書で蛇がエバに唆して食べさせたのは「善悪を知る木の実(知恵の実)」です。アダムとエバは、「善悪を知る木の実」を食べたことによって、善悪を自分で考えることができるようになった代わりに、不死ではなくなったとされています。
アダムとエバは、「善悪を知る木」から取って食べたあと、神のように、「善悪を知るものとなった」と書かれているところから判断すると、その木から取って食べる以前は、二人は善悪を知ることができなかったことになる。そのため、二人が「善悪を知る木」から取って食べる以前は、善悪を知っていたのは神だけであり、二人には、善悪の基準がなく、善悪の判断ができなかったことになる。それゆえ、神が善と言えば、善であり、悪と言えば、悪であった。人間が善悪について口を差し挟む余地はなかった。神による以外に、善悪の基準がなかった。神だけが、唯一、善悪の基準であった。人間は神の善悪に口を挟むことができず、神の判断に従ってさえいればよかった。すなわち、神に従うことが善を行うことであり、神に逆らうことが悪を行うことであった。
出典:創世記における「命の木」と「善悪を知る木」 落合和昭氏 駒澤大学外国語部『論集』 60号 P101-P122 2004年
つまり、人間は「善悪を知る木」の実を食べるまでは、何が善で何が悪なのかが分からず、神の判断に従ってさえいればよかったわけですが、「善悪を知る木」の実を食べたことにより、「善悪について考えられるようになった」わけです。
しかし、人間が、神の禁止命令に逆らって、「善悪を知る木」から取って食べ、善悪を知った時点から、このような神と人間の関係は一変した。人間が「善悪を知る木」から取って食べた結果、善悪を知るものは、神と人間というように、いわば、二分化され、二極化した。このような状態になると、一方には、善そのものである神がいて、善悪を判断する。そして、もう一方には、神に背いた人間、すなわち、悪を行うこともある人間がいて、善悪を判断することになる。このような二極化が起こった場合、人間は、ある事について、善悪の判断をしなければならないとき、どちらの判断に従うかという問題が起こってくる。つまり、善悪の最終的な判断者を誰にするかという問題が起こってくる。人間が善悪を判断するとき、人間は神の判断に従うか、それとも、人間は神の善悪の判断に頼らず、自らが善悪の最終的な判断者になり、判断を下すのかという重大な問題に直面することになる。
出典:創世記における「命の木」と「善悪を知る木」 落合和昭氏 駒澤大学外国語部『論集』 60号 P101-P122 2004年
とはいえ、善悪を自分で考えられるようになるのことの何が駄目なの? そもそも、それを考えられるようになったからって、「死」を背負うようになるなんて、処分が重すぎでは…? と思わなくもありません。それについて、落合和昭氏はこう書いています。
神は、人間が「善悪を知る木」から取って食べる以前は、「命の木」から取って食べることを禁止しなかった。しかし、人間が、神に背いて、「善悪を知る木」から取って食べた後は、「命の木」から取って食べるのを許さない。これは何故であろうか。神は善悪を知った人間には、永久に生きることを許さないのである。善悪を知る以前は、永久に生きる機会を与えたが、善悪を知った後は、永久に生きることを許さないのである。何故、善悪を知った後は、永久に生きるのを許さないのであろうか。
それは善悪を知った人間は神の善悪ではなく、自らの善悪に従う場合があるからではないだろうか。しかし、神のように善悪の絶対的判断者ではない人間が判断する善悪には、おうおうにして、落とし穴が待ちかまえている。人間は、自分が神に取って代わって、善悪を判断する立場に置かれたとき、概して、自分が善であり、他の人は悪であると思いこむことがある。それとは反対に、他人が善であり、自分が悪であるかもしれないと考える比率は極めて少ないだろう。出典:創世記における「命の木」と「善悪を知る木」 落合和昭氏 駒澤大学外国語部『論集』 60号 P101-P122 2004年
要するに、旧約聖書の価値観では、「神」=「絶対的な善の象徴」なので、「神の判断に従うこと」が「善」であり、「神の判断に背くこと」が「悪」なわけです。しかし、善悪を考えられるようになった人間は善悪を自分にとって都合よく解釈したりすることで、時に神の判断に背くことになった=悪をなすようになりました。悪をなし得る人間に永遠の命を与えるわけにはいかない、ゆえに人間は「死」を背負うようになった…という話です。
※落合和明氏の経歴等については下記ページ参照
「蛇」は人間に「イマジネーション」を与えた
では、これをへびつかい座さんに当てはめて考えてみましょう。
へびつかい座を含めたスタープリンセスは、この宇宙を造ったと発言していました。つまり、プリンセスたちはこの宇宙の「創造主」であり、「神」のような存在であるわけです。
そのへびつかい座さんは、「この宇宙は失敗作」だと主張します。なぜ「失敗作」なのかについては46話時点では明らかではありませんが、「イマジネーション」を「毒なるもの」として考えているその言説からは、失敗の原因が人間の持つ「イマジネーション」≒「思考」そのものにあると考えている可能性が高そうです。
ここまで考えると、どうでしょう。
旧約聖書とスタプリ…似ているようではないですか?
「善悪を知る木」の実を食べて、善悪について自ら思考するようになった人間。
その実を人間に食べさせたのは、「蛇」=「悪魔(サタン)」です。 そして、サタンはもともと大天使であり、神に反逆して堕天し、悪魔になった存在です。
まとめると、こういう感じです。
<旧約聖書>
- 旧約聖書の「蛇」は人間を唆して「善悪を知る木」の実を食べさせた
- 「善悪を知る木」の実を食べた人間は何が善で悪なのかを「思考」できるようになったが、「悪」を為すようにもなった
- 旧約聖書の「蛇」は「悪魔」の象徴であり、その悪魔は「サタン」でもある
- 「サタン」は「堕天使」である。元々は大天使だったが、神に叛逆して「悪魔」となった存在
<スタプリ>
- へびつかい座を含めたプリンセスたちはこの宇宙の「創造主」=「神」
- へびつかい座は元々スタープリンセスだったが、他のプリンセスたちに叛逆してダークネストになった
- へびつかい座は人間の「イマジネーション」=「思考」を否定している
蛇はエバを唆し、「善悪を知る木」の実を食べさせた存在です。
見方を変えれば、「蛇」は人間に「イマジネーション」を与えた存在とも言えます。
しかし、スタプリにおける「蛇」は、人間に附与された「イマジネーション」を否定し、自らの創造した宇宙をも否定しています。なぜスタプリの「蛇」は、自らの附与した「イマジネーション」を否定しているのかというと――というのが、47話以降にかけて提示される重要な「問い」になるのだと思います。
終わりに:プリンセスが人々に「干渉しない」理由
やぎ座「これより儀式を行います。
ひかる「儀式?
しし座「ええ。フワとトゥインクルイマジネーションをもって、」
てんびん座「儀式を終えれば、宇宙に平和が訪れるでしょう」
儀式を終えれば宇宙に平和が訪れる…。
儀式というのがいったいどういうものなのか定かではありませんが、ひとつだけ確かなことがあります。それは、儀式を終えたからといって、ガルオウガ様の母星は復活しないでしょうし、カッパードさんの母星を侵略した異星人たちが謝罪しに来ることはないでしょうし、アイワーンちゃんの両親が生き返ることもないでしょうし、グーテン星人たちが鼻の長さで人を判断するのをやめたりはしないだろうということです。
私はこれまで、「何でプリンセスはノットレイダーのみんなを守ってあげられなかったんだろう」と疑問を抱いていました。もしスタープリンセスが全宇宙の平和を守っていたのだとすれば、ノットレイダーという組織が出来ることはなかったはずです。でも、現にノットレイダーたちは誰からも守られることはありませんでした。
たとえば、星空連合はプリンセスたちによって庇護されていて、ノットレイダーたちは星空連合の外にいたからこそ庇護されていなかった…という仮説も考えたことがあります。が、それは誤りだったと言わざるを得ません。なぜなら、テンジョウさんは星空連合に加入しているグーテン星の住民であったにもかかわらず、ノットレイダーに加入しているからです。
スタープリンセスたちは、宇宙というシステムをハード面からサポートする存在であり、人間同士の争いといったソフト面の問題については積極的に干渉しないというスタンスなのかもしれません。星空連合に加盟していようが加盟していなかろうが、プリンセスにとっては同じなのです。
では、なぜスタープリンセスは人間同士の争いや憎しみに積極的に干渉しなかったのでしょうか? プリンセスたちはこの宇宙の創造主であり、いわば「神」のような存在です。であれば、プリンセスたちはカッパードさんの故郷を侵略した連中のような「悪」を断罪し、「善」を導くべきではないでしょうか? 宇宙の平和を守るため、この世に蔓延る「悪」を裁き、そもそも「悪」が生じないようにするのが仕事ではないでしょうか?
そうです。
そもそも「悪」が生じないようにすれば、みんなが幸せになるはずです。「悪」を生み出すのは、この脳みそです。この脳みそが、おのおの好き勝手に、自分にとって都合のいいように「善悪の判断」を行い、「思考」をし、「イマジネーション」を思い描くからこそ、人は人を傷付けるのです。
だったら、やるべきことは決まっています。
思考を止めればいいのです。
イマジネーションこそが、諸悪の根源なのですから。
……………………。
…………。
…。
という感じで。
もし、プリンセスたちが人間たちの「善悪の判断」に積極的に干渉をし始めれば、プリンセスたちが「善」とする価値観を人間に押し付けるようになれば、そこに待っているのは、あまりキラやばではない宇宙のような気がします。
とはいえ、作中におけるプリンセスたちは、大きな力を持ってはいるものの、「全知全能の神」としては描かれていません。プリンセスたちもひかるさんたちと同じ「人間」に分類される存在であるなら、彼女たちがそこまでやるのは難しいでしょうし、さすがにそこまで極端なことはしないでしょう。
…そう、へびつかい座というプリンセスを除いて。
※ダークネストは旧約聖書における蛇=悪魔なのか? という考察をした記事は、こちらでも書いています。↓
※そもそもプリンセスたちは黒幕では…?という疑心暗鬼から書いた考察です(2019年7月26日に書いたものです)
スタプリ46話の考察はこちらから。アイワーンちゃんが「プリキュア」になった瞬間。