金色の昼下がり

プリキュアについて割と全力で考察するブログ

『友だちをやめた二人』感想~上質な小学生百合小説~

 

 ずっと親友になりたいと思っていた二人だけど、いつもすれちがい。このままでは友だちも無理かも。(あらすじより一部抜粋)

 

 とんでもない最高の小学生百合小説でした。

 児童書らしい分かりやすく読みやすい文体で、長さも150ページくらいなので一時間もあれば読めてしまいますが、中身はめちゃくちゃ上質な小学生百合です。なんなんだこれは。核心的なネタバレはしないようその魅力を語りたいと思いますが、内容にはところどころ触れているので、そのあたりをご了承のうえ読み進めてください。

 

 

 

「友だちをやめる」の意味

 まずタイトルがズルい。

 友だちをやめるってどういうこと……? 絶交するってこと……?

 

 気になって本に書かれているあらすじを読むと……

 

「結衣ちゃんと親友になりいたいとずっと思っていたよ。でも心の中を、ちっとも見せてくれないよね。」

「なんであたしだけ? じゃあ、七海ちゃんは心の中を見せてくれたの?」

 ずっと親友になりたいと思っていた二人だけど、いつもすれちがい。このままでは友だちも無理かも。

 友だちとは、親友とは……。

 

 エモーーーーーーーーーーーーーい!!!!

 

 エモすぎる。あらすじからトップギアじゃないですか。なるほどタイトルはそういう意味なんですね。いやエモすぎる。

 

 この時点で私のライフポイントはゼロです。つまりゼロスタートで本を読むことを強いられるわけです。ライフがゼロですから当然何かエモいイベントが発生したらすぐに死にます。結果的に私は3回死にました。

 

わたしといっしょに死んでくれる?

 興奮しすぎて何も説明してなかったんですが、「七海」というのが語り手の主人公で、「結衣」が七海の友だちです。

 

 二人は小学校5年生なんですが、この5年生という設定がまた最高です。なぜなら5年生は中学年から高学年へと移った学齢であり、第二次性徴の発現が少しずつ進んでいる時期、つまり心も体も大人へとなっていくときを切り取った瞬間であり、胸の中に巨大な感情が渦巻くようになる年ごろだからです。この二人ももれなく自身の胸の中で巨大感情をはぐくみ、ぶつけ合うわけですが、そのうちのひとつを引用してみます。

 

「もし、もしもだよ。また生まれ変われるとしたら、七海ちゃん、いま、わたしといっしょに死んでくれる?」

 

 エグイ……… 

 

 しかもこの台詞を言ったのは主人子の七海ではなく、その友だちの結衣なんですよ。主人公の七海はどちらかというと物事をはっきりと決断できないタイプで、序盤に捨て猫を見つけてどうにかしようとしたときも、結衣にいっぱい助けてもらってるんですが、結衣はクラスでもいわゆる「目立つ子」のグループに属しています。

 

 でも結衣は目立つ子たちに媚を売るわけではなく、あくまでも「己」を突き通す子で、目立つ子たちが間違ったことをすると怒って注意するようなキャラクターなんです。他人になびかず、確固たる己を持っているように描かれていた結衣が、「いっしょに死んでくれる?」と七海に言い出すんですよ。

 

 そこに至るまでには当然いろんなことがあって、この台詞に至ったあともひと悶着あるわけですが、もうそれらすべてが愛おしい。尊い。これぞ等身大の小学生百合という感じで、ほんともう感無量です。

 

「ちゃん付け」の二人と「呼び捨て」の他の子たち

 それからこの二人は幼いころからの幼馴染で昔から「ちゃん付け」で呼び合っていた名残がいまでも残ってるんですが、二人の通う小学校のクラスでは、特別に仲のいい同グループの女の子同士は「呼び捨て」で呼び合うんです。

 

 言っている意味が分かりますか???

 

 他の子たちは「呼び捨て」で呼び合ってるのに、七海と結衣はみんなよりもずっとずっと付き合いは長いはずなのに「ちゃん付け」。周囲とのギャップを感じて七海はこう思うわけですよ、結衣とあたしは親友じゃない…親友になりたい…と。

 

 あああああああああああ…(発狂)

 

ブランコのように物語は進む

 物語は七海と結衣がそれぞれブランコをこぐようにして進んでいきます。

 ただ、二人のブランコは互い違いです。七海が前に進んでいるときには、結衣は後ろに、七海が後ろに戻ったときには、結衣は前に…といううように、まさに「凸凹」な二人として描かれています。

 

 凸凹だけど似た者同士な二人が、フィナーレで「友だちをやめる」お話。

 もうほんと尊すぎるお話で泣きながら読みました。本当にありがとうございました。全人類読んでください。

 

最後に

 読み終えた瞬間、この感動を言葉にしなくてはという衝動に駆られて書き殴りました。本書は児童書であり、子ども向けの作品ではありますが、決して子ども騙しの作品ではありません。そういうところは、プリキュアシリーズにも通じるところがありますね(何でもプリキュアに繋げる人)

 

<好きな百合漫画(新人賞受賞作)>

 ネットで無料公開されてるのでぜひ。 

www.konjikiblog.com

 

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以下、ネタバレ考察(読んだ人向け)

 ここからはネタバレの考察です。読んだ人向けです。

 この作品はさらっと読めますが、あまりにさらっと読み過ぎると見逃してしまうポイントがいくつかあります。ブランコのくだりや、側転の練習のくだりは作中でも触れられているので、そこに込められた意味が分かりやすいかと思いますが、以下の2点についてはどうでしょうか。

 

①おばあちゃんが死んだエピソード

②子猫を拾ったエピソード

 

 本書を「七海」と「結衣」が親友になっていく話として考えると、①のエピソードはそれ単体ではあまり関係がないように見えるかもしれません。

 

 しかし、おばあちゃんはぜったいに死ぬ必要があります。

 

 なぜなら、おばあちゃんが生きていたら、七海はおばあちゃんに頼ってしまうからです。事実、序盤で子猫を拾ったとき、最初に七海が頼ったのはおばあちゃんでした。おばあちゃんならなんとかしてくれる。七海の中にはそういう想いがありました。しかし、おばあちゃんは途中で死んでしまいます。頼りたくても、もう頼れません。七海は自分自身で物事を決断し、前に進んでいかなければならなくなり、それが彼女の成長に繋がって行くのです。

 

 ②について、子猫のユナはいわば二人の関係性を表す象徴的な存在です。ラストでは子猫が元気に育っていることがうかがえます。二人の名前を冠したユナが成長するということは、二人の関係性が進展していることを指しているわけです。

 

 このように、おばあちゃんの死や子猫のエピソードなども、最終的にはすべてが二人の関係性を進展させるためであったり、進展した二人の関係性を示すために用いられています。すべてのエピソードが有機的に繋がっていて、しかもそのどれもが等身大の小学生の感情を出しながら魅力的に書かれています。

 

七海の持っている「いいところ」

 ところで、おばあちゃんは、七海には七海のいいところがあると伝えていましたが、それはなんだったんでしょうか? 作中では答えは明かされていませんが、推察するに、それは「悩んだときに他人を頼れること」のように思えます。

 

 それは一見すると、決断力がなく、頼りないという一面があるかもしれません。実際、序盤で子猫を保護するとき、七海はなかなか決断もできず、おばあちゃんやみんなに頼る描写がネガティブに描かれていました。

 

 しかし、物語の後半ではそれが逆転します。

 ひとりでもぜんぜん平気だと思っていた結衣は、本当はひとりではやっぱりつらく、しかもその悩みを誰かに相談することもできず、不登校になってしまいます。

 

 一方、結衣を傷付けてしまったと感じた七海は、姉や友だち、そして死んだおばあちゃんにも相談することで、どうしたらよいかを考えていきます。人に悩みを打ち明けるのは簡単なように見えてその実とても難しいものですが、七海はそれを自然に行えるのです。

 

 フィナーレでは、決断力のなかった七海が決断して結衣に想いをぶつけ、人に頼る力のなかった結衣が七海を頼ります。ふたりはこうして、確かに、成長したのです。成長し大人になっていくふたりは、今後きっと大切な親友になっていくでしょう。子猫のユナがすくすく成長していくのと同じように。

 

(1時間45分)